文芸版「高速道路論」
2007年10月25日付朝日新聞朝刊27面『文芸時評』(加藤典洋)に、以下のような文章がありましたのでご紹介。
カラオケが世に出回るようになって世の人々の歌唱レベルは格段にあがった。テレビの素人のど自慢などでも玄人はだしの歌唱者が多い。そのカラオケ効果に似て、インターネットのブログ等を通じ、誰にも、モニター上の電子活字で不特定多数者へのコトバの発信が可能になったことの影響だろう。近頃の新人賞の受賞作に、読むのが苦痛だ、というほどのものは激減している。なかなか読める。「レベル」が上がった。しかし、一方で、ちょうどカラオケからは一定の枠内の歌い手しか出てきにくいというのと同じ(かも知れない)、別の問題が、生まれている。
(※中略)
人間型ロボットの世界を描く押井守監督のアニメ映画「攻殻機動隊」では、機械に代替できない人間の説明不可能な部分がゴースト(幽霊)と面白い呼ばれ方をしているが、ウェブの世界に漬かりながら、なおそれに影響を受けない「ゴースト」を、どう自分の中に持ち合わせるか、育てるかが、ここでの新しい課題である。
まさに文芸版「高速道路論」ですね(笑)。
高速道路論とは、書籍『ウェブ進化論』(梅田望夫/ちくま新書)内で紹介されていますが、ネットの普及によって将棋界に起きた最大の変化について、羽生善治が述べた考え方です。
「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」
(『ウェブ進化論』p210より)
現代は、定跡の研究成果、棋譜データベースといった整理された最新の情報がわずかなコストで誰もが共有できる時代です。加えて、「将棋倶楽部24」などを始めとするネット道場はアマチュアから匿名のプロ棋士まで誰もが無料で参加できます。最新の研究を知る機会とそれを実践するための場が、ネットの発達によって一気に開かれたのです。昔と比べて圧倒的に速いスピードで、かなりのレベルまで強くなることができるようになった時代。まさに「整備された高速道路」を疾走してくるイメージです。
羽生によれば、奨励会の二段くらいまでなら現実的なレベルとして誰もが目指せる段階にあるとされています。三段までが奨励会員で四段からはプロ棋士です。してみれば、二段ともなればまさにプロ棋士一歩手前の実力です。そうなると、今度はそうした高いレベルでの競争が発生します。つまり「高速道路は敷かれたけど、高速道路を出たら大渋滞している」という「高速道路渋滞説」です。そこで、そうした競争を勝ち抜くための何かが必要となりますが、それは一体なんでしょうか。
この点について、羽生善治は次のように述べています。
それは私にも分かりません。ただ、高速道路を走っているのと同じやり方では抜けられないんじゃないか、とは思っています。アクセルを全開に踏んで、ただスピードを上げればいい、ということではないのではないか。なにか違った考え、違う発想、違うアプローチをしないと…。そんな気はしています。
(『将棋世界』2006年8月号「羽生善治、将棋の《今》を語る」p16より)
ま、要はよく分からんということです(笑)。ただ、将棋のような理論的には解答が存在するはずの場面においてすら、そこからの脱出には理詰め以外の何かが模索されているわけです。そうである以上、文芸・文学という人間をテーマにした分野において、高速道路を降りた先での渋滞を抜け出すためには、より何らかの遠回りが必要かもしれない、ということでしょう。共有された情報空間に身を委ねてしまうと、それによって作られた物語は共有知に基いた均質的なものになってしまいがちです。ネット社会においてどうやって個性的な文章を編み出していくか。一ネット中毒者としてとても考えさせられるテーマです(苦笑)。
もっとも、文学の場合だと、ネット中毒を極めた先にまだまだ可能性があるようにも思いますけどね(笑)。
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