『射光』(泡坂妻夫/扶桑社文庫)

斜光―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

斜光―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

 本書には、『射光』『黒き舞楽』『かげろう飛車』の3編が収録されてます。『敗北への凱旋(プチ書評)』の解説の中で米澤穂信が暗号ミステリの傑作として『かげろう飛車』を挙げてまして、将棋ファンとしては読まずにはいられなかったので手にとってみました。
 そんな『かげろう飛車』ですが、これ自体もともと暗号で書かれてたということに驚きですが、本書では普通の文章で収録されてますのでご安心下さい。それにしても、この暗号もまた難解ですね(笑)。暗号に該当する文章を読んで違和感を覚えるためには将棋の知識が不可欠とまでは言いませんが、あった方が有利なことは間違いありません。ただ、その後の暗号表まではちょっと思い至りませんよ。江戸時代の将棋の表記法なんて知りませんよ(笑)。ま、勉強にはなりましたけどね。それに、この暗号解読によって表向きの暗号ともうひとつの暗号とが一気に解き明かされる仮定は確かに爽快です。暗号そのものにも必然性がありますし、暗号ミステリの傑作だという評価にも納得です。
 ちなみに、この短編のような内弟子制度は現在の将棋のプロ棋士の世界には当てはまりません。現在は、こうした内弟子制度は師弟制度として受け継がれています。
【参考】「東の所司、西の森信」 - 勝手に将棋トピックス
 ですから、本短編のように一門で定跡手順を囲い込むというようなことはありません。師弟であっても、対局となれば一対一の勝負です。また、こうした複数人による新手・定跡の研究は、研究会やVSといった勉強法が主流となっていて、一門かどうかは無関係とは言いませんが、あまり意味もないみたいです。
【参考】vs: 遠山雄亮のファニースペース
 ただ、そうした研究会での研究成果はすぐに広まって他の人に指されてしまうので、本短編みたいな秘手として存在することはまず無理でしょう。
【参考】王将戦二次予選対佐藤(紳)五段戦。 - 渡辺明ブログ
 あと、お気付きのことでしょうが、『かげろう飛車』なる戦法・定跡は実際には存在しません。ただ、本来は相手をごま化す戦法だった。しろうとを相手にするとき、楽をして勝とうとするための奇襲戦法。いわば三流戦法だ。縁台将棋でなら指せるが、専門家と対することは出来ない。(本書p446より)といった記述から、何となく『鬼殺し』がモデルになってるんじゃないかと思います。
【参考】しおんが指した”鬼殺し”とは?
 何だかミステリの書評のはずが、いつの間にか将棋ファンの視点からの薀蓄だらけになってしまいましたけど(笑)、短いながらも濃密な内容の好編です。オススメです。
 他二編はちょっと長めの中編です。泡坂妻夫が『湖底のまつり』以来こだわり続けている「愛(エロス)」をテーマにしたミステリです。私は、泡坂作品には亜愛一郎シリーズから入ったので、こうしたエロ路線の作品にはいまだに戸惑ってしまいます。どっちも18禁ミステリです。『射光』は、五年前の殺人事件の重要参考人を探し出す刑事のパートと四人の男女の複雑な恋愛模様が描かれたパートが交互に描かれ、やがて交錯します。情と理が頭の中で不協和音を起こしているような感覚に襲われる不思議な作品です。嫌いじゃないけど好きでもないです。『黒い舞楽』は、ネタバレしてあらすじだけばらしちゃうとバカミス扱いされてもおかしくない一品です(笑)。そんな紙一重のところを丁寧な心理描写がぎりぎり踏み止まらせています。シリアスに読むもよし、ネタとして読むもよし。真面目なミステリファンにあえてオススメしたい作品です(怒られるかも?)。