『敗北への凱旋』(連城三紀彦/講談社ノベルス)

 ショパンの葬送行進曲を聴くたび、なぜか砂塵舞う辺境の戦場を思い浮かべます。この作品は、太平洋戦争を背景にした愛の物語であり、嘘八百のミステリーですが、すべて、そのショパンの十六の音が出発でした。美しい名旋律をトリックにして、戦争というノンフィクションへの、自分なりの葬送行進曲を書いてみたかったのです。
(カバー折り返しの”著者のことば”より)

 著者のことばにあるとおり、本書はショパンの名曲を基にして作られた、楽譜・楽曲という暗号の謎を解く暗号ミステリです。この暗号は非常に複雑なものでして、読了した現在でも正直理解し切れたとは言えません。さらに、そうした複雑な暗号が解かれる過程も、仮説や反証との比較といった推理がなされることもなく一気に解かれるので、解説で米沢穂信も述べてるように、読者が解くことはまず不可能でしょう(もし解かれた方がいらしたら平伏するより他ありません)。ですから、メインの暗号トリックと小説との調和という面においては暗号の複雑な構造が勝ち過ぎてて納得できるものではありません。にもかかわらず、本書は暗号ミステリの傑作です。

 暗号ミステリは、パズルとは異質な存在となることに成功している。その要諦は主に、誰に宛てて、どうして、暗号などという手段を用いなければならなかったのか、というところにある。言いたいが、そのままでは言えない。伝えたいのに、伝えるわけにはいかない。そういう屈託の結晶として暗号を捉えるとき、暗号ミステリは「不純なパズル」から「豊潤なミステリ」へと生まれ変わる。
(本書解説p189〜190より。ちなみに、本書についての米澤穂信の解説は、米澤自身の著書を読み解く上でとても示唆に富んだ内容になっています。ファンなら必読でしょう。)

 本書の暗号は確かに複雑なのですが、その暗号の鍵を握る人物たちの人間関係とその心理もまた複雑です。そんな複雑な人間関係を象徴するかのように、楽曲の暗号は立ちはだかります。そうして明らかになる暗号の真意は、その事件の歴史的背景としての太平洋戦争についてもひとつの解釈を与えます。それはまさに嘘八百のもので、まったくの事実無根です。しかし、それが真実でないと断言できるでしょうか。戦争という歴史的な出来事を肯定的に考えるにしろ否定的に考えるにしろ、いずれにしても当時の日本(大日本帝国)という国家にとってその戦争にはどういう意味があったのかという観念的な議論に終始するのが常です(それが歴史、もしくは歴史学というものなのでしょうが)。しかし、太平洋戦争という個人の力など及ぶべくもないとてつもない劇的で不可逆と思われる事象であっても、それは間違いなく人間によって引き起こされた、人間にとっての悲劇なのです。そのことを、本書は「ある事件」についての極めて卑小な動機の可能性を提示することで明らかにし、そして告発します。
 それと、確かに本書のメインの暗号は楽譜・楽曲なのですが、それより前に終戦の日に空から降ってきた夾竹桃(免罪符)という暗号の謎が読者に提示されます。その意味の何と残酷で、そして皮肉なことでしょう。楽譜の暗号の意味が「ある事件」の意味を明らかにし、それがまた夾竹桃の意味を明らかにします。そうした謎と意味の連鎖は作中の語り手たちを通じて読者へと届けられます。私たちは本書にどのような謎を、どのような意味を見出すことができるでしょうか。暗号というパズル以外の、もっと大きな伝えたい思いというものをそこに感じ取ったとき、読者はパズルではなくてミステリを読む喜びを享受できるのだと思います。
【関連】黄金の羊毛亭さんの『敗北への凱旋』感想で、作中に登場する楽譜『九つの花』と『SOS』がMIDIファイルで公開されています。基本的には暗号のための楽譜のはずなのに、聴いてみると一応ちゃんとした曲になっているのに驚かされます。ぜひ一度聴かれてみることをオススメします。