『天使の歌声』(北川歩実/創元推理文庫)

天使の歌声 (創元推理文庫)

天使の歌声 (創元推理文庫)

 北川歩実といえば、『真実の絆(書評)』などがそうですが、森博嗣とは違った意味での理系ミステリの名手として知られる作家です。扱うテーマが生物学・生化学であり、その展開は世間でいうところの倫理というものを挑発するがごとく、どこまでも論理的に際どい方際どい方へと容赦なく突き進んでいきます。そのえげつなさ故に大きな声でオススメしにくい作風ではありますが、しかしその高密度な内容を考えるともっと評価されて良い作家のひとりだと思っています。そんな北川歩実のことですから本書でもどんな血の通っていない作品が収録されているのかなぁとワクワクしながら読んだのですが……こ、これは!
 本書には、嶺原克哉という私立探偵が関わった事件が六つ収録されています。嶺原が登場するという共通点があるだけで各話は独立しています。ただ、共通するテーマは垣間見えます。それは家族の絆です。一言で家族といっても様々です。生みの親か育ての親か、というように、一概には言えません。それぞれの家族にそれぞれの真実があります。そして、そこに登場する人物には、驚くべきことに”心”があります。いや、もちろん短編ですから、そんなに書き込まれているわけではないのですが、まさか北川歩実がこんなものを書くとは! いや驚きました(いい意味で)。多分、余技のようなものだと思いますが、それにしては、らしくもなく実直(笑)ながらも味わい深いものに仕上がっています。
 また各話のタイトルが意味深で良いです。〈警告〉は警告がなされるのかどうかを試す物語。〈白髪の罠〉はそのまんまといえばそのまんまですが、果たして真相は?〈絆の向こう側〉は臓器移植が題材の著者らしい一品ですが、この結末はなかなか思いつかないです。〈父親の気持ち〉は何と皮肉なタイトルでしょう(苦笑)。〈隠れた構図〉はホワットダニットの正統派ミステリです。表題作である〈天使の歌声〉は、本書収録作の中でも白眉だと思います。大事なのは天使の歌声か、それとも人の声か? 
 こうして見てみると、ミステリ作家としての北川歩実の本領は論点隠しにあるように思います。最初に被害者もしくは加害者と思われていた人間の立場が推理によって転換していきます。オーバーな表現をすれば世界が反転するかのような瞬間があります。でも、そうした反転は特定の人物の中のみに生じるとても矮小なもので、それがときには個人と世界との間の歪みを生じさせますし、ときには逆にもともとあった歪みを解消させることでもあります。どの短編にもそうした意外な真相・どんでん返しが用意されていて楽しめます。扱われている題材も北川歩実にしては地味ながらソフトなものばかりですし、言葉は悪いですが、北川にしては普通のミステリとしてオススメです。