『痙攣的』(鳥飼否宇/光文社文庫)

痙攣的 モンド氏の逆説 (光文社文庫)

痙攣的 モンド氏の逆説 (光文社文庫)

 一応、連作短編集と呼ぶべきなのでしょうね? いや、最初のうちは真っ当な本格ものだと思ってたのですが……。
 〈廃墟と青空〉は、ステージ上に死体だけを残して忽然と姿を消した伝説のロックバンドの謎が明かされます。衆人環視の中の消失と登場という謎の他にも、《鉄拳》という作中のメンバーの名前も分からないユニットの謎があって、その2つの謎が連動しあいながらほどけていく様は端整な本格ものの香りのする一品として楽しむことができます。
 〈闇の舞踏会〉は、各短編を独立したものとして捉えたときには一番好きな作品です。モールス信号という古風な暗号に始まり、ダイイングメッセージの解釈の多様性、絶え間ない推理による仮説の提示の果てに明らかになる意外な真相(?)といい、短編ミステリの理想形と言って良いと思います。さらに、デュシャンが一個の便器を自らの作品として美術館に持ち込んで以来、盗用は現代アートのひとつのキーワードになってきた。コラージュによって異物を作品空間に持ちこんだシュールレアリストも、大量消費財をモチーフにイメージ拡大を図ったポップアーティストも、自覚的に盗用を行っている。より過激に確信的にカットアップやサンプリングを多用する現代の芸術家たちは言うまでもない」(本書p129〜130より)といった作中の人物によるセリフは本格ミステリにおけるオリジナリティの問題にも通じるものがあります。
 〈神の鞭〉は、観客を巻き込んだりアースワーク(→Wikipedia)といった枠の外に枠を求める現代アートの手法がテーマになってますが、これなど何気に本書のテーマでもあるように思います。つまり、現代において”本格ミステリ”というものを語ろうとすると、著者もしくは作品のみならず読者・もしくは読者の評価自体も本格というものを語る上での分析対象になってしまうということなのだと思います。本書の趣向はいかにも好き嫌いの分かれそうで唖然とさせられるものですが、そこに込められている著者の意図は、本書を読んだ読者がどのような美を見出すか? もしくは、痙攣するのか? といったことだと思います。本書収録の短編は、探偵役・犯人役・ワトソン役といったミステリにおけるお約束的な安定した地位をまったく約束されていません。それゆえに読者の視点もつねに揺らぎます。3本目まででも結構揺らぐのですが、次の短編を読むとここまでの揺らぎは軽いトレーニングに過ぎなかったことが明らかになります。
イカはさすがに既読者限定で。)
 さて、〈電子美学〉ですが……。アホか!(笑) なんでイカやねん。おそらく如何物(いかもの・いかがかと思われるものの意)から連想してイカを選んだんじゃないかと思いますが(笑)、こんなシュールな図面は初めて見ましたよ(笑)。森博嗣『有限と微笑のパン(注:ネタばれ書評)』で、被害者がナイフで刺されたときに、それを被害者の内側から見ていた目撃者という設定。これも、あまりないと思う。という新趣向を試していましたが、本作はこれを上回る趣向であると言えます。それ自体は斬新だし更に考慮に値する論点だと思うのですが、本作を前提にしちゃうとどうしても笑ってしまいます。とは言え、笑ってばかりもいられません。最後の短編、〈人間解体〉(人間か遺体?)と併せて本書全体を通しての意味解釈を行わなければなりませんが、これはなかなか刺激的な作業ですし、人を選ぶのかも知れませんが、ミステリ読みならまずまず癒されるのではないでしょうか? 私もそれなりに考えた上でネットサーフィンしてみましたが、黄金の羊毛亭さんの感想(ネタばれ感想による分析は必読!)は抜きん出ていると思いますので紹介しておきます。
 とにもかくにも、いろんな意味で”人を食った”作品(笑)として、拭い難い印象が残りました。いかもの扱いせずにオススメしたいと思います。