『最後から二番目の真実』(P・K・ディック/創元SF文庫)

 以前はサンリオ文庫から刊行されていましたが、同文庫の廃刊によって長らく入手困難だったものが、このたび創元SF文庫から新訳で復刊されました。大変喜ばしいです。
 ディックの作品というのは基本的にはお約束のテーマがありまして、”現実”というものへの徹底的な懐疑がそれです。『虚空の眼(書評)』では夢の現実化、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(書評)』では人間性に対しての疑問、『スキャナー・ダークリー(書評)』ではドラッグによる現実の崩壊と、手を変え品を変えては現実感を相対的なものにしてきました。もしディックが、ヴァーチャル・リアリティが今みたく進んだ社会で生きていたら、ひょっとしたら発狂してたかもしれません(笑)。
 本書もやはり例外ではありません。本書の場合、世界を二分する核戦争の結果多くの人々は放射能を恐れて地下での生活を余儀なくされているのですが、実は戦争は十年以上前に終結しており、一部の権力者による嘘の情報操作によって戦争の継続を信じ込まされ理不尽な労働を強いられているという設定です。統制されたマスコミによって嘘の世界大戦を信じ込まされているというのが、日本人ならどうしたって第二次大戦下のマスコミによる国民への戦果の欺網を連想せずにはいられないでしょう。それだけに、単なるSFでは済まされない薄ら寒い内容になってます。
 私はディックの作品を10作ほどしか読んでないので確証はありませんが、本書はちょっと珍しいところがあります。ディック作品においては、普通は非現実を見せられてる者が主人公となって、不安と戦いながら現実(あるいは真実)を追い求めてもがきあがくのがパターンです。ところが、本書の場合は幾人かの人物の視点で物語が語られるのですが、その中に偽りの現実を作り出している側の視点があります。現実に対抗するために如何に非現実を作り出すべきか? 自らの能力の不足をシニカルに嘆きながらもその仕事に関わり続ける補佐官の姿には確かにディック自身の姿を重ね合わせてしまいます。病的で鬱的なディックの一面ばかり思い浮かべちゃいますので、彼が創作というものにこんなに熱くて前向きな気持ちを持っていたとすればとても嬉しいです。いや、持ってたに決まってるのですが(笑)、どうしても暗い作品のイメージが私の脳裏には根強く残ってるもので……。
 それにしても、メディア・リテラシーという言葉は現代社会ではデフォルトになりつつありますし、機械に頼らず自らの言葉で書くことの必要性を訴える作中のセリフにはネットでのコピペ文化を皮肉っているようにも読めてしまいます。優れたSF作品にはときに未来を幻視しているように思えるときがありますが、本書もまたそんな幻視を体感できる傑作です。ネタを詰め込みすぎてストーリー展開がときに破綻してしまうこともあるディックの作品群において、本書は比較的真っ当に物語が進んでいきますので、ディック初心者にも安心してオススメできる一冊です。

最後から二番目の真実 (創元SF文庫)

最後から二番目の真実 (創元SF文庫)