受動態についての戯言

なぜ主語が隠されたのか(28日の日記) | より良い明日をめざして - 楽天ブログ

 これらの文例で、私が傍点(ここでは下線を使用)を打ったところを、誰が・何が・追いやり・追いつめ・追い込んだか考えてください。また、れる・られるという助動詞を取り去って能動態にしてください。
 文章から主語を隠す(井上ひさしさんが指摘するとおり)、そして受身の文章にしてツジツマを合わす。そうすることで、文章の意味(とくにそれが明らかにする責任)をあいまいにする。
 それが日本語を使う私らのおちいりやすい過ち、時には意識的にやられる確信犯のゴマカシです。あなたにはこれらの文例を書き直すことで自分を鍛えてください。
(2007年4月17日付朝日新聞朝刊20面より)

 日本語は主語や目的語、あるいは補語を省略して、それを受動態にすることで文章の体裁を整えることができるという特性があります。反面、文章中での主体・責任が曖昧になり第三者にとって読みにくい文章になりやすいという難点もありますが。
http://d.hatena.ne.jp/REV/20070520/p2
 そうした特性は、責任の曖昧化にとどまらず、巧妙に使うとその所在の変換・転換にも応用できます。
叙述トリック分類〔A〕人物に関するトリック(黄金の羊毛亭)
 本格ミステリというジャンルが日本で発達して確固たるものとして存在しているその一因として、日本語のこうした特性が(叙述)トリックの実現に非常に適していることがあるのではないでしょうか。もっとも、叙述トリックが仕掛けられている作品において具体的に受動態がどのように用いられているかは未検討なので、この点についてはもうちょっと検証が必要ですが(誰かやってくれないかなぁ……)。
 以上、受動態についての戯言でした。