『”文学少女”と穢名の天使』(野村美月/ファミ通文庫)

“文学少女”と穢名の天使 (ファミ通文庫)

“文学少女”と穢名の天使 (ファミ通文庫)

※以下、既読者限定でお願いします。また、元ネタになってる本も読んでて当たり前というスタンスですので、そちらも予めご了承下さい。
 今回の元ネタは、ずばりガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』です。怪人(=ファントム)は、本書でも語られている通りの悲劇的な人物であるとともに、”オペラ座”を擬人化したかのごとき存在であり、ひいては芸術の魔性の象徴でもあります。作家としての過去と平凡な日常の間で苦悩している心葉の心情を直接的に表現している作品であり、元ネタとして選ばれるべくして選ばれた作品です。クリスチーヌを巡るラウルとファントムの戦い。普通の乙女として生きるか、それとも歌姫として歌い続けるか? 芸術を軸とした三角関係は、恋愛の三角関係とも微妙に重なり合って本書を奥深いものにしています。
 夕歌にとってラウルは毬谷でファントムは臣でした。『オペラ座の怪人』ではクリスチーヌを救いにきたラウルですが、本書ではそのラウルの手によって夕歌は殺されてしまいます。毬谷はかつてファントムに、音楽に身を奉げようとした過去があり、一方、ファントムであった臣は歌を捨てて生きることを決意します。この役割の交換はあまりにも残酷ではありますが、『オペラ座の怪人』で描かれることのなかった真実の一面でもあります。『オペラ座〜』のクリスチーヌはラウルを選びましたが、平凡な日常が幸せを約束するものだとは限りません。ただ、それはそうなのですが、夕歌の置かれた悲劇的な境遇を併せて考えるとあまりにも過酷と言わざるを得ません。鬱です。
 シリーズとして鳥瞰的に見たときに注目すべきなのはやはり琴吹さんが重要キャラとして大きく取り上げられたことでしょう。2巻では骨折、3巻では風邪と、肝心な場面で強制退場させられていた不遇なキャラですが(笑)、今回は遠子先輩の出番をほとんど奪ってのメインヒロインぶりです。3巻の『友情』についての論争で、野島(心葉のメタファ)を琴吹が非難して遠子先輩が擁護していたこともあって、琴吹さんは明らかなかませ犬だと思ってたのですが、本書での急浮上ぶりを目の当たりにしますと、心葉−琴吹エンドもこれはこれでありだと思えてきます。作者の思惑通りでしょうが(笑)。
 冒頭のおやつでトナカイが幸せになったところで終わって良かったというエピソードを置いといて、その上で、物語後半の遠子先輩が臣に歌うことをやめないよう力強く説得しているところが残酷だけど面白いです。物語は必ず終わるものだけど、それでも続けなくてはいけないときもあって、それが例え表現者本人にとって苦痛でしかないときでもそれによって救われる人がいる、救われた人がいる。こうした主張は鑑賞者の一方的なエゴに過ぎないようにも思えますが、しかしそれによって臣が救われたことも確かです。心葉はそんな遠子先輩の話を聞いて、読者の存在というものを始めて意識します。自分自身にとっては否定したい過去以外の何物でもない作品であっても、それを読んで感動してくれた人にとっては大切な宝物になるということ。それを知ったときに心葉は井上ミウを許せるようになります。しかし、その後の最後の最後のエピソード、心葉が遠子先輩にメルアドを書いた栞を渡して遠子先輩はそれを理解できずに食べちゃって、Sincerely―誠実に、と読み取ってしまいます。ここでは作者と読者との間に明らかな意思の錯誤があるのですが、にもかかわらず伝わるべきことはちゃんと伝わっていて、これが全然矛盾ではないのがまた面白いです。作者と作品と読者の関係の微妙な関係がとてもうまく描かれていると思います。
 この”文学少女”シリーズは、今までのところ心葉の一人称の語りと何者かによる太字の語りとの並列という構成がずっと踏襲されています。で、太字の語りの方は、1巻は書き手の途中交代、2巻は書き手の誤認(雨宮と思わせて姫倉)、3巻は芥川が母親ともう一人の誰かに手紙を出してて、4巻も1巻と同じく書き手の途中交代と、ちょっとひねった語りになってます。これらの語りには、心葉の一人称語りの補完と、ミステリとしてのミスリードあるいはサプライズを演出する役割があります。しかし、それだけではありません。例えば本書の場合ですが、夕歌から琴吹へと思わせて実は途中からは臣が書いていたものなので、そこからは臣の夕歌への、あるいは琴吹への思いということになります。では、読者が最初に思い浮かべるであろう読み方、すなわち書き手の変更以降も夕歌が琴吹について語っていたとするその読み方は無駄なものだということになるのでしょうか。そうではないでしょう。そのときの読み方もまた真実なのだと思います。太字の語りのちょっとひねった仕掛けは、一つの語りで重層的な読み方を読者に与える効果があります。いわば一石二鳥ということですが、それによって登場人物たちの関係性をより広く深く描写することができます。
 いわゆるライトノベルの登場人物たちについて説明する場合に、類型・属性といった概念が用いられることがあります(参考:萌えとは何ぞや?)。こうした属性によるキャラクタの作成がなぜ有効なのでしょうか? こうした属性は、主人公のみを中心とした視点(=それを通じての読者の視点)によって物語が動いていく場合に、その主人公に他の人物の特徴・個性とかを端的に分かりやすく把握させるための方法としてとても便利です。しかし、当然のことながら人間は属性化で説明できるほど単純な存在ではありません。属性に頼ることなくキャラクタにより自然な個性を持たせるにはどうしたらよいでしょうか? そのためには、他者あっての自我・存在証明の確認、すなわちキャラクタ内で個性を完結させようとするのではなくて、他のキャラクタとの関係性によって個性を持たせるようにすれば良いのです。”文学少女”シリーズの脇役の多くは使い捨てられていくので、主要人物の数はそれほど多くはないですし、上記のような語りの工夫によってキャラクタ同士の関係性が効果的に補強されています。そうすることで、ライトノベルにありがちな『萌え』と言われる人物造形に過度に頼ることなく、主要人物の心情を生き生きと描き出し、さらにはとても痛々しい苦悩・愛憎までもが読者に伝わってくるのだと思います。そうした巧みにして濃密な人間関係・心情の描写がなされているため、読み終わった後にはすごく満足感があります。
 本書で明らかになった事実は、今後の展開がさらに痛々しいものになるであろうことを予想させます。心葉は美羽が生きていたことを思い出します。彼女がなぜ自殺したのか? 彼女が心葉に向ける愛憎の正体は何か? 1巻の元ネタ『人間失格』、2巻の『嵐が丘』のテーマはまだ生きています。『友情』のテーマも前作から何も進んでいません。さらに、本書で明るみになった心葉を中心としての『オペラ座の怪人』の構図。『オペラ座〜』に従えば臣の考えてるように心葉と琴吹とがくっつくことになるのでしょう。しかし、そう単純に行くとは限らないことは本書の展開が皮肉にも如実に物語ってしまってます。真実を知ったとき、ひょっとしたら琴吹はラウルではなくファントムになってしまうかもしれません。あるいは、遠子先輩だってファントムだとは限りません。心葉の幸せがどこにあるのかも分かりません。これまでのテーマをすべて抱えたまま、作者の言葉を借りれば”美羽編”へと、物語は突き進んでいくのでしょう。これから先はものすごい物語になるような予感がしてなりません。続きがただただ楽しみです。ってか、最後のページはななせの死亡フラグにしか読めないのですが。頑張れななせ。
 あと、これは余談というより無粋な想像なのですが、夕歌の時間差の死は、ひょっとしたら『オペラ座〜』と同じくルルーが書いた有名なミステリ『黄色い部屋の謎』をヒントにしたんじゃないかと思います。何のことか分からない方は黙って『黄色い部屋の謎』を読まれることをオススメします。既にネタばれコードに抵触してますので(笑)。
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