森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』角川書店

夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

 第137回直木賞候補にもなった森見登美彦出世作です。
 クラブの後輩に一目ぼれした主人公「私」が、彼女を追いかけ夜の先斗町や神社の古本市や大学の学園祭にストーキングするお話、とあらすじだけ書くと面白さが皆無のような作品なのですが(笑)、これが面白い面白い。
 まず、語り手の「私」。(主人公、ではない)
 同著者の作品、『太陽の塔』『四畳半神話大系』にも共通する、「愛すべきヘタレ」とでも言うべきキャラで、本作でも一目ぼれした彼女に積極的に声が掛けられないため「ナカメ作戦(なるべく彼女の目にとまる作戦)」と称し彼女の行き先に奇遇を装って現れます。この彼のヘタレっぷりがどうにも共感を誘い、ペーソスに近い面白さを引き出しています。
 そして、「私」に惚れられる黒髪の乙女。
 物語の主人公は彼女であり、「私」はその主人公を見ている脇役にしか過ぎません。
 この小説、「私」の一人称による「彼女」と、「彼女」の一人称により、ニ方向から「彼女」の物語を浮き出たせています。森見登美彦作品特有のレトロな言い回しがこの黒髪の少女の一人称に非常にマッチしているのです。

 私は昔から運の良いお子様でした。私のごときやんちゃ娘が、頭蓋骨をかち割ることもなく無事に生き延びてこられたのは、きっと人一倍運が良かったからでしょう。幼い頃は自暴自棄になって三輪車にまたがり、幼児にあるまじき速度で坂道を下って母を卒倒させたこともある私です。こんな愚かな私を救ってくれる幸運の数々を、姉は「神様の御都合主義」と呼びました。
 神様の御都合主義万歳!なむなむ!(p156)

 とか言われると、もうこれだけでフジモリもノックアウトですよ(笑)。
 彼女は夜の先斗町を呑み歩き、神社の古本市で絵本を探し、大学の学園祭でゲリラ演劇に巻き込まれます。『太陽の塔』『四畳半神話大系』と同じく幻想が入り混じったような京都が舞台であり*1、まるで夢を見ているかのようにふわふわと物語が進んでいきます。現実と幻想の融合という手法は「マジックリアリズム」と言うのだそうですが、この現実と幻想のブレンドの調合率が絶妙なのか、非常に心地よく幻想的な物語を楽しむことができます。
 今作は『四畳半神話大系』と同じく4つの中篇からなっており、その連鎖が一つの大きな物語を浮かび上がらせます。一方でそれぞれの中篇そのものも「私」と「黒髪の少女」という二つの視点(二つの物語)から紡がれています。読者は、「黒髪の少女」と「黒髪の少女を見ている「私」」を見るという、いわば「ストーカーのストーカー」な気分を味わいつつ、この二人の物語がときおり交差する瞬間に大きなカタルシスを得るのです。まさに物語そのものが「二人」であるかのように。
 独特の文体、ちょっぴり幻想的な世界、愛すべきヘタレの「私」と天然ボケでレトロな「黒髪の後輩」との仄かな恋物語。胸を張って万人にオススメできる一冊だと思います。
【関連】森見登美彦『四畳半神話大系』角川文庫 - 三軒茶屋 別館

*1:一部登場人物がリンクしています。

『鏡の国のアリス』7月4日問題とチェスタトン『マンアライヴ』

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫)

『アリス・ミラー城』殺人事件 (講談社文庫)

 北山猛邦『『アリス・ミラー城』殺人事件』ルイス・キャロル鏡の国のアリス』をモチーフとしたミステリですが、そのなかで『鏡の国のアリス』にまつわる次のような問題が紹介されています。

「さて、ご存知の方もいるかもしれませんが、『不思議の国のアリス』が生まれた一八六二年七月四日については、幻想的なエピソードがあるのですよ」
「幻想的だと?」
「ええ。ロンドン気象台に残されている古い記録では、その日のオックスフォードの天気は『涼しく雨模様』となってるのです。ところが、『不思議の国のアリス』冒頭に掲げられた詩にも表されているように、ルイス・キャロルは七月四日の午後を『金色の午後』と呼び『素晴らしい天候のもと』で物語をせがまれたという記述をしています。またこの日を振り返った『アリス・リデル』本人が残した記述では、『真夏の太陽がじりじりと照りつける』とあります」
(『『アリス・ミラー城』殺人事件』p81〜82より)

 実際の気象と作中のそれとの齟齬。こうした問題については文学者から気象学者まで様々な意見が出されているらしく、私などは「ふ〜ん」などと感心させられるばかりなのですが、この7月4日問題を読んでふと思いついたのがG・K・チェスタトン『マンアライヴ』(つずみ綾・訳/論創社)です。
 『マンアライヴ』に次のような記述があります。

 風がつんざくような長い悲鳴をあげて天空を端から端に引き裂いた。そして突然の豪雨が、一同の眼をくらますばかりの暴風雨をもたらした。
(中略)
 轟々たる風にもまれて、大木は背の低いアザミのように前後に激しく揺れ動き、満ち満ちた陽光の中でかがり火のごとく輝いた。
(『マンアライヴ』p17〜18より)

 中略しましたが、風で帽子が飛ばされる描写があったり登場人物のセリフがあったりするだけで、別に場面転換や時間の短縮が行なわれてるわけではありません。雨なのか晴れなのかよく分からないこのシーンですが、『鏡の国のアリス』の7月4日問題を意識して描かれたものだとすれば実に納得がいくではないですか。
 ……と思いつきの解釈で納得するわけには実は参りません。というのも、この『マンアライヴ』、その翻訳の酷さ故に翻訳ミステリ界で少しばかり有名になってしまったという困った一品なのです。なので引用の場面についても訳文を問題視しないわけにはいきません。
 というわけで、原文を探してみましたところ、こちらのブログによりますと突然の豪雨が、一同の眼をくらますばかりの暴風雨をもたらした。の原文は、

The eyes of all the men were blinded by the invisible blast, as by a strange, clear cataract of transparency rushing between them and all objects about them.

とのことです。で、これをエキサイト翻訳にかけますと*1

すべての男性の目は目に見えない爆破で目をくらまされました、それらに関する彼らとすべての物の間で突進する透明の奇妙で、明確な白内障のように。

となります。ここでblast=爆破はないだろう、とは思いますが、直前に強風の様子が描かれていて、おまけにinvisible=目に見えない、ということですから、blast=暴風、でよいでしょう。つまり、場面としては雨は降ってないのです(笑)。ただ、作者であるチェスタトンの思惑としては、『鏡の国のアリス』的な空間に読者をいざなうために、物語の始めにこうした描写を用いたのでは? ということはいえる……のかもしれませんね(?)*2

マンアライヴ (論創海外ミステリ)

マンアライヴ (論創海外ミステリ)

*1:英語力に自信のある方募集(笑)。

*2:本当のところは、当該一文だけでなくその周辺の原文も読まなくては何ともいえませんのであしからず(トホホ)。