『ダブル・ジョーカー』(柳広司/角川文庫)

ダブル・ジョーカー (角川文庫)

ダブル・ジョーカー (角川文庫)

 求められているものは、結局のところただ一つであった。
 言葉にすれば、それは「何物にもとらわれず、自分自身の目で世界を見ること」であり、言い替えれば「自分自身の肉体のみを通じて世界を理解すること」だった。
 ――世界は本当はどう見えるのか?
(本書p264〜265より)

 「ジョーカー・ゲーム」シリーズ第2弾です。
 ”見えない存在”であることが要求されるスパイたち。そんなスパイたちの指導者である結城中佐は、本書においてまさに”見えない存在”としてすべての物語において存在感を発揮しています。”何があっても死ぬな、殺すな”というD機関での教えは、”畢竟敵を殺し、あるいは敵に殺されることを暗黙の了解とする運命共同体(本書p20より)”である軍隊において忌むべき存在です。そうした思想自体、軍への反逆行為と捉えられかねないわけで、そうしたD機関に対する反感や不快感あるいは嫌悪感といったものが、もうひとつの秘密諜報機関「風機関」を生み出すことになります。そんなD機関vs風機関という諜報機関同士の頭脳戦が描かれているのが表題作「ダブル・ジョーカー」です。”死ぬな、殺すな”は、一見すると極めて甘い考えに思えるかもしれません。ですが、その裏の意味は、”生きるな、生かすな”という、ともすれば人生の意義すら否定しかねない考えでもあります。それは、本作に限らず、本シリーズの全体の通奏低音です。どれだけ「私」を捨てられるかが勝敗を握るこのゲームにおいて、勝敗の帰結は必然のものであったといわざるを得ません。
 治安維持法によって兄を失った脇坂格は共産主義思想に傾倒し、やがて北支前線の隊付き軍医として従軍しながらモスクワのスパイとして活動を続けることになる。日本の敗北のために。脇坂は「ワキサカ式」と呼ばれる独特の通信手段によってスパイ活動を続けていたが、脇坂の身にもD機関の調査の手が伸び始め……といったお話が蝿の王です。「ダブル・ジョーカー」同様スパイ対スパイといった構図ですが、D機関が脇坂に仕掛けた罠の真の狙いには驚かされました。「蝿の王」というキーワードが複数の意味を有している傑作です。
 仏印作戦」は、電信所に勤める高林が軍からの命令で仏印(フランス領インドシナ連邦)に半軍人・半民間人という立場で着任することにより、図らずもスパイゲームに巻き込まれることになるお話です。微妙な立場からの物語ならではの微妙な余韻が残ります。
 ”死ぬな、殺すな”をモットーとするスパイが図らずも事故死してしまった場合はどうなるのか? そんなスパイの死後とD機関の凄みがドイツ側のスパイ・ハンターの視点から描いたお話が「柩」です。
 「ブラックバード」でググッてみると、アメリカではムクドリモドキのことを指すそうです(参考:クロウタドリ - Wikipedia)。その意味するところは”二重の偽の経歴(ダブル・カバー)”です。アメリカでのスパイ活動、というのは、物語の舞台が戦前である以上、登場人物のみならず読み手としても普段より緊張してしまいます。日本人であるというだけでスパイの疑いをかけられる中、嘘発見器ポリグラフ)を誤魔化しながらスパイ活動を続けるという、まさに超人的なスパイ像が描かれています。しかしながら、落とし穴は思わぬところにあって……。「ブラックバードはそんなお話です。
 「眠る男」は単行本未収録のお話で、『ジョーカー・ゲーム』所収「ロビンソン」のサイド・ストーリーとでもいうべきお話です。シリーズのファンであれば読み落としたくない作品です。
【関連】『ジョーカー・ゲーム』(柳広司/角川文庫) - 三軒茶屋 別館