『夜は終わらない』(ジョージ・ペレケーノス/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

夜は終わらない (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

夜は終わらない (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

「神様の涙だ」テランス・ジョンソンはほとんどささやくように言った。
 ラモーンにとっては、たんなる雨だった。
(本書p143より)

 1985年。オットー(Otto)、エイヴァ(Ava)、イヴ(Eve)の少女が一年のうちにコミュニティ菜園で死体となって発見されるという殺人事件が発生する。被害者の名前が前から読んでも後ろから読んでも同じことから、回文殺人事件と命名された事件。一部の警官たちはこの殺人犯を「夜の園芸家(ナイト・ガーデナー)」と呼ぶようになった事件。そして2005年。コミュニティ菜園で少年の死体が発見される。少年の名前はエイサー(Asa)。死体で見つかった少年の友人ディエゴを息子に持つワシントンDCの刑事ラモーンは、二十年前の未解決連続殺人事件との類似点に気付く。捜査を続けるうちに、他の殺人事件との関連性も浮かび上がってくる……といったお話です。
 複数の事件が同時に発生してそれらが絡み合うタイプの小説をモジュラー型と呼ぶことがあります。警察小説において多く用いられている手法ですが、本書もそうしたモジュラー型の警察小説であるといえます。凶悪犯罪が多発するワシントンDCのような地域を舞台に警官の活躍をリアルに描こうとすれば、モジュラー型の形式が採用されるのは必然だといえます。ただ、複数の事件を同時に描かなければならないため、ストーリーは複雑なものになりがちで、ともすれば作者にも読者にも負担のかかるストーリー展開になるおそれがあります。しかも、本書は単なるモジュラー形式ではありません。複数の事件が同時に進行するだけでなく、1985年の場面から始まったと思ったら2005年に時が移っていることからも明らかなように、過去の事件と未来の事件とがやはり同時に進行します。おまけに、主人公的役割であるラモーンだけでなく他の人物の視点からも物語が語られるという三人称多元視点の描写が採用されています。複数の事件と、過去と現在の時間軸と、複数の視点とが平行して絡み合う複雑な構成が本書では用いられています。
 いくつもの事件を同時に抱えつつ、その中で捜査が順調に進展する事件もあれば難航する事件もあり、そうかと思えば家族の間にも問題が起きて、その一方で犯罪者には犯罪者の理屈があり、さらに過去のものとなったはずの出来事がふとしたきっかけで追いかけてきて……。構成自体は複雑かもしれません。ですが、決して技巧に走ったがゆえの構成ではありません。むしろ、人間の欲望とか執念とか偏見とか希望とか祈りとか偽りとか真実とか、そうした様々な思惑が錯綜する”夜の園芸”をケレン味に走ることなく実直かつ重層的に描こうとした結果、本書のような構成になったものと思われます。すなわち、”日常の謎”ならぬ”日常”です。誰かにとっては日常であるものが他の誰かにとっては非日常的なもので、誰かにとっては自明なことでも他の誰かにとっては不明なことで、誰かにとっての真実は他の誰かにとっては偽りで。暴力的なだけでなくときには繊細に汚いものだけでなく綺麗なものも交えつつ描かれ語られる物語。構成も描写も多角的であるからこそ、”夜の園芸”に暮らしながら、それでも夜明けの光を信じ求めようとする姿勢からは実直さと哀切が滲み出ています。
 警官の世界、犯罪者の世界、大人たちの世界、子供たちの世界、家族愛、老い、貧困、性犯罪、人種的偏見、宗教観……。日本と共通するテーマや価値観もあれば、ワシントンDCという舞台だからこそと思うものもあります。海外の作品に触れることの意義や充実感を堪能できる作品です。オススメです。