『バイロケーション』(法条遥/角川ホラー文庫)

バイロケーション (角川ホラー文庫)

バイロケーション (角川ホラー文庫)

「話し合って協力すれば良い。僕が情報収集して、偽者に論文を書かせる。彼が消えても書いた字は消えない。再び出現すれば得た情報の記憶が彼に上書きされる。便利だ」
「そうね。普通はそう考えるわね。でも実際は違うの。『会』に居るんだから分かるでしょうに。自分が二人いたら、憎しみ合い、殺し合う」
「何故?」
「幸福も半分になるからよ」
(本書p113より)

 第17回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作品です。

バイロケーション(Bilocation; 複所在、同時両所存在、バイロケーション現象ともいわれる)とは、ドッペルゲンガーと似た一身二ヶ所存在のことである。また、遠隔透視(リモートビューイング)の際に意識が体を離れ、透視対象の傍にあるように感じられる現象の表現でもある。
バイロケーション - Wikipediaより

 私は本書ではじめてバイロケーションという言葉を知ったのですが、それより以前からバイロケーションという言葉があったのですね。勉強になりました(笑)。ただ、一言でバイロケーションといっても、所詮はオカルティズムな現象にすぎませんから、細部においてはいろいろ違いがあります。本書には本書のバイロケーションの説明と設定があります。作中ではドッペルゲンガーとの違いやクローンに近い存在といった説明がされていますが、私の理解では『パーマン』のコピーロボットが、特に記憶の問題において近しいように思います。そうしたバイロケーションという現象が少なくとも作中においては実際に生じるのだということと、その設定の詳細を念頭に置いておくと、本書はホラーとしてのみならずSFミステリとしても非常に優れた作品として評価することができます。バイロケーション(Bi-location)とはWikipediaや作中にもあるとおり複所在・同時両所存在という意味ですが、そうした二つのロケーションというものを読者に観測させる手法には感嘆させられました。
 ひとつには主人公の忍が画家として絵を描いているという設定の妙をその要素として挙げることができます。絵を描いているとき、あるいは出来上がった絵を評価するとき、そこにはそれを描いた自分とそれを観ている自分という二つの自分が存在することになります。つまり、意識と自意識の関係の問題です。本書『バイロケーション』という題名は、応募時の『同時両所存在に見るゾンビ的哲学考』という題名が改題されたものですが、改題前の題名のとおり、本書ではバイロケーションについてのゾンビ的哲学考がなされます。それは哲学的ゾンビ哲学的ゾンビ - Wikipedia)に対応している単語です。

「ええと、それでクオリアって何?」
「感情とか、機械とか、『人が感じる心の何か』の事。これをまったく感じない人間が存在するとして、その存在を『哲学的ゾンビ』と仮称する。論文にある『ゾンビ的哲学』はこれのパロティ。即ち、見かけは完全に人間だが、中身は人間ではない。ただ人間のようにクオリアがあるように振舞っている人間を哲学的ゾンビと定義している訳だけど、その反対に、見かけも人間で、中身も人間だけど、実はそもそも人間ではないという存在を僕は同時両所存在、つまりバイロケーションによって定義しようとしている。それが論文の骨子」
(本書p111より)

 「もう一人の自分とは何か?」といった問いかけは「自分とは何か?」といった問いかけとして跳ね返ってきます。本物と偽者を分かつものは何か?自分は果たして本物なのか?そんな哲学的恐怖が本書では描かれています。その一方で、主人公の忍が抱く願望はとても生活臭のあるものです。また、本書で忍が所属することになる『会』の目的は、さらにバイロケーションの存在を「何とかする」ことにあるのですが、そのためにはバイロケーションの「殺害」も辞しませんし、その存在を解明するためにバイロケーションの腑分けも視野に入れます。こうした実存的ストレスや恐怖も本書ではしっかりと描かれています。
 ホラーでありミステリでもあり。そういう意味で本書そのものがバイロケーションであるといえます。多くの方にオススメの一冊です。
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