『丘ルトロジック 沈丁花桜のカンタータ』(耳目口司/角川スニーカー文庫)

「なぜ『丘研』と漢字で書いただけでここに人が来るのだろう、と。あぁ、私も先代の策に掛かって入ったわけなので人のことは言えないんだぞ。私は誰よりも頂上を目指す部活だと思って入部したが、現実はこうだった。だが、それについてはまったく後悔していないどころか、素晴らしい人生経験になったと確信しているし、別の意味で非常に興味深いことでもある」
(本書p28より)

 2ちゃんライトノベル板の名前欄のデフォルトは「イラストに騙された名無しさん」ですが、そのことからも分かるように、イラストに釣られて読んでみたら内容は全然違ってた、というのはラノベではよくあることです。一方で、キャラクタ小説といわれることもあるライトノベルにおいて主人公が風景好きを堂々と謳いながら、それこそがキャラクタの魅力となっているというロジック。本書は今どきのライトノベルというものをかなり意識した上で、よくも悪くもいろいろ工夫しているなぁといった印象を受けます。
 本書は、そんな「丘研」という表記に騙されてオカルト研究会に入部することになった風景好きの咲丘が、「丘研」代表・沈丁花桜をはじめとする愉快な仲間たちとともに活動を続けていくうちに、オカルトとは何かを知ることになる……といったお話、ではありません。
 いや、オカルトとは何かが話題に上らないわけではありません。ですが、オカルトとは何かなんてググればすぐに分かります。というわけでググりますと、

オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。
オカルト - Wikipediaより

 確か京極堂も似たようなことをいってましたね(笑)。というわけで、本書では「飛び降り男」や「ツチノコ」といったオカルト的存在が登場しますが、それらはやはりオカルトなままで、つまり肝心な点については隠されたままです。有体にいってしまえば、そうしたオカルト的存在は、本書の登場人物や、彼らによって引き起こされる事件の恐ろしさを際立たせるための引き立て役に過ぎません。訳の分からない隠された存在なオカルトよりも奇特で異常な恐ろしさ。っていうか、オカルトよりも、それを追いかける部員たちのほうがよっぽど狂ってます。一人称の語り手が堂々と変態してるライトノベルというのは割と新鮮です(笑)。ですが、それこそが本書のロジックの真価です。異常なものを描くことで、逆説的に普通を描き、なおかつ両者が相対化されています。マイノリティの論理に基づく世間への反抗。それがどの程度の勝算があってのものなのかは分かりませんが……。
 ちなみに、本書で重要な役割を担っている画像投稿サイト「カメラ倶楽部」と世界との関係(あるいはその脅威と限界)について、奇しくも2010年11月4日に起きた尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件(参考:尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件 - Wikipedia)という現実の事件が後追いの形で証明してしまったのが何とも皮肉です。でもそれは、本作に込められている問題意識の少なくとも一端が正しい方向を向いていることの証左であるのかもしれないと思ったり。
 普通に囚われながら普通じゃない者たちの活躍を描くお話に続きがあるとしたら、それを読んで今後どれだけの爽快感が得られるのか甚だ不安ではあるのですが、ひとまず期待してみたいと思います。