『サクラダリセット 2』(河野裕/角川スニーカー文庫)

 二人の間にはいつだって、能力があった。春埼美空のリセットと、浅井ケイの記憶保持。どちらか一方ではたいした役にも立たない、中途半端な能力が二つ。
 ――僕たちは能力で、繋がっていた。
 それは鍵と鍵穴のように、二つ揃わなければ意味がない。二人は能力を理由に、顔を合わせることが決まっていた。
 自動的に、当然のように、この二年間、二人はいつも二人でいた。
 なんて気楽で、歪で、残酷な繋がり方だろう。
(本書p217より)

 能力者が集う街、咲良田。その能力は、多くの能力バトルものがそうであるように、使用者の”思い”が強く反映されたものです。したがって、自分や相手の能力を知ること、あるいは能力による戦いや駆け引きといったものは、自ずと互いの”思い”の交錯やぶつかり合いといったものへと帰着します。戦っているのか会話しているのか分からないときがありますが、両者は互いを理解し合うという点においてそんなに変わらないものなのかもしれません。
 前提や条件といったものが定められている能力バトルはともすれば理屈っぽいものになりがちですが、にもかかわらず、それによって叙情的な雰囲気が醸し出されるのは、能力の根底に”思い”があればこそでしょう。なればこそ、ときに噛み合わないこともあります。
 ”魔女”はなぜ”魔女”なのか。メタ的な読み方をすれば、おそらくはウィッチ(Witch)→which→選択肢、というありがちな言葉遊びの意味合いが込められているのではないかと。リセットによって生まれる分岐。未来をシミュレートすることによって生まれる分岐。与えられた選択肢と、それとは違った選択肢を生み出すという選択。日常的な会話のなかで交わされる意味深なやりとり。そこにはやっぱり意味があって、それが後々の決意へとつながっていきます。リセットによって時間が遡る物語にあって、登場人物の次の行動が仄めかされることはとても大事で、その辺りが考えられて描かれてるため、本書は読ませる物語になっているのだと思います。
 ややこしい設定やら不自然な効果といった能力が組み合わさることによって作られる未来。それは能力の設定の説明から生まれる理屈の小難しさからくる危うさであると同時に、その能力の支えである”思い”という不安定な要素が重なり合ったがゆえの危うさでもあります。
 また、能力の組み合わせによって結果を発生させるという条件的因果関係のみならず、誰が責任を負うべきかという意味での因果関係までもが問われていたのが興味深かったです*1。リセットによる因果への介入について自覚的なのは好印象です。
 スワンプマンの思考実験(参考:スワンプマン - Wikipedia)。かなり無茶な設定の思考実験なので、正直いって真面目に考える必要のない問題だと思ってました。ところが、そしたらかなり切実な問題として次巻以降への引きとなったのには驚きました。どこか淡々とした雰囲気の物語ですが、その雰囲気のまま修羅場と化すのか。それとも……?
【関連】
『サクラダリセット』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 3』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 4』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 5』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 6』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館
『サクラダリセット 7』(河野裕/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館

*1:刑法学的にいえば「条件的因果関係」と「相当因果関係」ですね(参考:相当因果関係 - Wikipedia)。