古野まほろ『天帝のみぎわなる鳳翔』講談社

天帝のみぎわなる鳳翔 (講談社ノベルス)

天帝のみぎわなる鳳翔 (講談社ノベルス)

古野まほろ「天帝」シリーズ第4弾です。
本作までまほろについて来ている読者の方は、すでにこのシリーズに対する「耐性」が身についていること前提で(笑)、今回は「天帝」シリーズそのものについて少々語ってみます。
(以下、ややストーリーに触れますので、まっさらな気持ちで本作を読みたい方はご注意ください)

あらすじ

その前に、簡単に本作のあらすじを公式HPより。

特殊任務を帯び、空母『駿河』に乗船することになったまほろ。そこで待っていたのは、ミステリ史上最大級の2836人殺し!巨大な鉄の密室に潜む悪意が彼を襲う!空前絶後の『天帝』シリーズ最高傑作、ついに登場!!

…うん、言いたいことはわかるよ。「2836人殺し」ってなんやねん!とか突っ込みたい気持ちは良くわかる。でもまあ、そこをぐっとこらえて読んでほしいんだ。・・・とこちらも思わずキャラが変わってしまうようなトンデモな内容かと思いきや、意外や意外、これがまた「ミステリ」しているのです。
今回の舞台は空母『駿河』。とある任務を帯び司令部儀典参謀として乗り込んだまほろが、ここでもまた殺人事件に遭遇します。
これまでの3冊では、あくまで「学生」という身分で事件に遭遇、解決してきたまほろですが、今作では擬似的にジョブチェンジ。このやり方、意外とうまいなぁ、と思いました。*1探偵役が事件を調査する際、学生として関係者に接するのか、探偵として接するのか、警察として接するのか、はたまた今作のように司令部儀典参謀として接するのか・・・。例え同じ事件であろうと、アプローチ方法が異なれば全く異なる物語が生まれます。それと同じく、「古野まほろ」という主人公は同一ながらも(あくまで擬似的に、ですが)身分を変えることで、あたかも「並行世界」かのように全く異なるミステリに仕上がっています。

並行世界

「天帝」シリーズの舞台は、今の現実とは異なる舞台設定です。昭和の戦前期をそのまま現代に引っ張ったような火薬の臭い漂う「現代」。それは一兵卒がガンダムの名言をのたまったり、軍人貴族が存在する世界で古今東西のミステリについて引用するような、あたかも現代の知識のままホームズの時代にタイムスリップしたかのような感覚を受けます。この点について作者は、

本格探偵小説発祥の経緯から、王室、貴族、伝統社会、旧植民地、比較的信頼されている警察組織――等の英国的なガジェットが舞台装置として有効と考えるからです。例えば軍人・貴族の出てこないホームズ・シリーズ、ポワロ・シリーズは芳醇さが激減すると思うのですが、どうでしょうか。
(中略)
そのような舞台装置を導入するため、昭和戦前期の日本の姿をほぼそのまま作中世界の前提としています。ただそこに政治的意図はありません。遊技を政治性で穢すのは美しくないからです。
筑波大学ミステリー研究会インタビューより

と発言しています。
個人的に「多重並行世界もの」はここ最近ホットになっているジャンルかと思っています。起源はノベルゲームかと思われますが、最近は物語の枠組みとして利用されていますし、某7部のボスキャラもこれじゃないかな、と妄想してます。まだ仮説段階ですが、二次創作の地位が高まることにより読者が多重世界(物語は一つではない)と受け入れる土台ができてきたことが一つの要因かと考えています。・・・閑話休題
歴史の分岐点をちょっと違えただけの「天帝」シリーズにおける「現代」。しかしながらこの並行世界は、確かに物語の雰囲気作りに成功しています。

戦争とミステリ

ここで、あらすじにあった「2836人殺し」です。
某小説のように本を壁に投げつけたくなるようなトンデモな話ではなく、きちんと(という言い方は不謹慎かもしれませんが)人が死んでいきます。とはいっても、探偵役が「誰が」「どうやって」殺されたのかを推理する、ということはありません。
以前アイヨシが『トーキョー・プリズン』の書評で戦争とミステリについて語っていましたが、

 平時には犯罪的・非人道的行為とされるものであっても、戦中にはそれが許され、さらには奨励されます。そんな戦中の行為を戦後の理屈で処罰する戦争裁判には、どんなに言い繕っても事後法的な欺瞞があることは避けられません。そんな不合理が、ミステリに求められる合理的思考と不協和音を起こしています。それこそがミステリという枠組みで戦争裁判を描くことの意味だといえます。
 因果関係とは原因と結果の関係を意味します。結果から原因をつきとめること、それが探偵行為です。そして、行為には責任が伴います。探偵行為にも犯罪行為にもそれは共通しています。行為と責任の関係は、社会的存在として求められる因果関係だといえるでしょう。
 戦争裁判は戦争行為の責任を問う裁判です。しかしながら、戦前の不完全な日本の民主主義は民主主義を謳いながらも、一方では、”臣民”として国民を扱ってきました。大日本帝国憲法下における自由主義と団体主義のどちらつかずの国体。テンノウの名の下に戦争が行なわれ、テンノウのために兵士たちが死んでいったにもかかわらず、テンノウには本当に戦争責任がないというロジック。にもかかわらず、A級戦犯以下、戦犯は裁かれ処罰されていくという現実。因果を問うミステリのフレームは、行為と責任の関係を問い直す役割もまた担っています。
『トーキョー・プリズン』(柳広司/角川文庫) - 三軒茶屋 別館

「数千人の虐殺より一人の不可解な死」を優先させる探偵の業を浮かび上がらせると同時に、「一人の死」を推理する過程で、「なぜ」彼らは殺されたのかが判明するという巧みな構成にもなっています。
場の論理による殺人は、この舞台設定ならではのものだと思います。
もっとも、「天帝」シリーズは舞台設定にさらにSF要素も追加されているのですが。

SF設定と後期クイーン的問題

第1作、『天帝のはしたなき果実』を読了した読者の多くは、「なんじゃこりゃあぁっっ!!」と仰天したと思います。特に最後のほう。本格ミステリかと思いきや、急にSF展開に。当時は「これが俗に言う「超展開」というやつか!」と達観するでもなく、呆気に取られた記憶があります(笑)。
2作目以降はこのSF的要素は影を潜め、出てくるのは「祭具」と「狐」ぐらいですが、この「狐」がまた効果的に使われています。
ミステリ用語に、「後期クイーン的問題」というものがあります。
詳細を説明しだすと長くなるので割愛しますが、端的に言うと、「作品内で探偵が示した解決が真なのかは、物語という位置づけでいうところの「作品」内では証明できない」という問題で、「探偵が解決したように見えて、実は黒幕がいるのでは?黒幕の後ろにさらに黒幕がいるのでは?」と無限循環に嵌まってしまう可能性もあるこの問題。しかし、「天帝」シリーズでは黒幕が「狐」だとはっきりしています。*2つまり、「犯人を操ったのは誰か?」まで推理する必要が無く、読者は純粋に「推理」に専念できるわけです。
また、ミステリにつきものの「探偵が歩くと殺人事件に当たる」という問題も、「ラスボスがまほろにちょっかいをかけている」という設定で片がついてしまうわけです。これは、トンデモかつ御都合主義という非難を受けて余りあるアドバンテージであり、本作が「本格ミステリ」として存在できる土壌作りでもあるのだと思います。

本格ミステリ

インタビュアー では、勅許を得た古野さんが書いていこうと考える……理想としている探偵小説とはどんなものでしょうか。
古野 先に言ったことと重なりますが、まず伝統を踏まえてロジカルなもの、フェアなもの。前衛的で新しい風を感じるもの。そして社会的には全く無用な知的刺激を受けられるもの……です。(同)

本格定義論は重箱の隅にでも追いやるとしまして(笑)、本作は「本格ミステリ」と呼んでも差し支えない作品だと思っています。
探偵役たちが事件の手がかりを列挙しながら、さながら「うみねこがなく頃に」の赤き真実のように「公理」を確定し、読者に提示したり、条件提示が終わった段階で「読者への挑戦状」を挟んだり、複数の探偵役が推理合戦を行い、推理ミスの指摘によって新たな公理が生まれ、更なる推理を積み上げる、という頑ななまでのスタイルはフジモリのようなライトな読者のみならずヘビーな読者も満足するだろうと思われます。
前作の感想でも書きましたが、過剰な装飾そのものが「本格」を彩る舞台装置として巧く機能しているなぁ、と思います。

過剰な装飾

それにしてもこの本、厚いです。
1段組2段組の違いこそあれ、かの「立方体」京極作品に近しいぐらいの厚さ。まさに凶器。
この厚さの原因の一つは、「まほろ語」とよばれるルビ多用な過剰言語や「うげら」「はふう」のような独特の言葉遣い。また主人公が関口巽もかくやというほどの鬱気質で独白が多い。
しかしながら今作ではまほろ語も若干影を潜め、意外とマイルドになっています。
内容も青春小説パートとミステリパートが良いバランスでブレンドされており、結構あっさりと読むことができました。



個人的には1作目を読んだ時点で地雷と思ったのですが、2作目以降、過剰な装飾で覆われた作品の芯にある骨太な「ミステリ」が感じ取られ、今では続きが楽しみなシリーズの一つとなっています。
決して万人にオススメできないですが、「うん、悪くないよ」と言える人同士とだったら結構語りあえる部分が多い、非常にクセのある作品だと思います。
次作は『天帝のやどりなれ華館』。これもまた楽しみです。
古野まほろ『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス - 三軒茶屋 別館
古野まほろ『天帝のつかわせる御矢』講談社ノベルス - 三軒茶屋 別館
古野まほろ『天帝の愛でたまう孤島』講談社ノベルス - 三軒茶屋 別館
【参考書評リンク】
http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=1885

*1:おまけに司令部儀典参謀は軍楽も扱うので、吹奏楽ネタも引き続き使えます。

*2:そうでない巻もありますが。