『ケンブリッジ大学の殺人』(グリン・ダニエル/扶桑社ミステリー)

ケンブリッジ大学の殺人 (扶桑社ミステリー タ 9-1)

ケンブリッジ大学の殺人 (扶桑社ミステリー タ 9-1)

「まるでフーガの主題の主旋律だけをもらったようなものだ」
「開始の旋律は見つからないし、どのように終わるのかもわからない。もし始まりの旋律を手に入れて中央の旋律につなげることができれば、終わりがわかるかもしれない。問題は、始まりがあまりにもぼやけていることだ」
(本書p197より)

 1939年のケンブリッジ大学で発生した殺人事件。死体の近くに残されていた物証から事件はすぐに解決するかと思われたが、関係者の証言の錯綜によって事件は難航し始める。そうこうするうちに明らかになった第二の殺人。果たして二つの事件の関係は、そして犯人はいったい……? というようなお話です。
 正直、最初のうちは物語に入り込むのに苦労しました。というのも、人間がまったく描かれていないからです(笑)。いや、古臭い本格批判気取りで「人間を描け」というつもりは毛頭ありません。ただ、容疑者となる人物が結構多いので、登場人物を把握するためのデータ、とりわけ年齢は早い段階で明らかにして欲しかったです。もっとも、ひとたび事件の捜査が始まれば、捜査によって各人が抱える人間関係や事情なども明らかになってきて物語は色づき始めます。なので、これから読み始めようという方がいらっしゃいましたら、まずは殺人事件が発生するまで読み進めてしまうことをオススメします(笑)。
 物語の導入はイマイチですが、事件が発生して捜査と推理が始まると面白さが加速し始めます。本書の読みどころは、何といっても二転三転する推理の楽しさ・面白さにあります。物語は大きく2つに分けることができます。
 前半はケンブリッジ署のウィンダム警部とケンブリッジ大学考古学教授にして副学寮長のサー・リチャードによる捜査と推理です。ウィンダム警視は物証を重視するタイプで、捜査によって発見される証拠や証言などを元に極めてオーソドックスな推理を展開します。対するサー・リチャードは、考古学者という視点から事件に接し、また副学寮長という立場から良心的に学校関係者たちの助けになろうと素人探偵を始めます。結果として、ウィンダム警部が捜査と推理によって犯人を特定したと思ったら、サー・リチャードの推理によってそれが覆されるといったパターンを何度も繰り返すことになります。捜査に窮したウィンダム警部は、スコットランド・ヤードに応援を頼むことにします。
 後半は、スコットランド・ヤードからやってきたマクドナルド警視とサー・リチャードの推理合戦です。物証を重視するウィンダム警部は、矛盾する証言に惑わされました。マクドナルド警視は、矛盾する証言間の関係や重なり合う焦点から真相を導き出そうとします。先に、「人間が描けてない」と評しましたが、物語が進むにつれて登場人物たちは徐々に描かれていきます。なかでも一番に魅力的な人物として造形されていくのがサー・リチャードです。物語の終盤において、ある人物によって語られるサー・リチャードの人格についての評価。それには何ともいえない説得力があります。サー・リチャードは一体何をしようとしているのか? 物語は緊張の度合いを深めていきます。二人の推理はどこへ行き着くのか? 犯人は一体誰なのか?
 上述したように、本書の一番の読みどころは二転三転する推理です。その裏返しとして、つまり結末はたいしたことがない、ということを意味していたりもします(笑)。訳者も認めるこの脱力系の真相ですが、しかしながら、真相が明らかになった後の感想戦で明らかになる「とある事情」は、なるほどこの事件の結末に相応しいオチだといえるでしょう。
 意外性には欠けますが、十分に練りこまれた論理の面白さは1945年発表という古さを微塵も感じさせません。本格ファンにはオススメの一冊です。