『ひとめあなたに…』(新井素子/創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

 このお話が最初に刊行されたのは1981年でして、本書はその復刊本ということになります。
 一週間後、地球に隕石が衝突する。時代的に1999年のノストラダムスの予言を意識して描かれたものではないと思いますが、とにもかくにもそんなディストピアな物語です。地球最後の一週間などといっても実感が沸くはずもないのですが、テレビをつければNHKはもちろんのこと、なんとあのテレビ東京までもがそのニュースを報じているのです。ああ。人類は本当に滅亡してしまうのですね(笑)。
 閑話休題です。主人公の圭子は、恋人である朗から突然の別れを告げられました。自分は癌で余命いくばくもないので放って置いて欲しいと。失意に沈む圭子。そんなときにテレビで知った地球滅亡の知らせ。圭子は朗に会うために彼の住む鎌倉へ行くことを決意します。
 普段なら電車やバスといった交通手段を使えば圭子の住む江古田から鎌倉へ行くなど簡単なことです。しかし、人類滅亡を前に、当たり前と言えば当たり前ですが、人々は仕事も任務も放棄しています。道路では車が暴走していますし、女性が一人歩きなどしていたら襲われても不思議ではありません。
 圭子が鎌倉を目指す旅を主流として、彼女が道すがらに遭遇する4人の女性の物語が織り込まれています。夫と共に生きることを選んだ由利子。仏教用語に不浄観というのがありますが、それはこういうことなのですね(コラコラ)。受験勉強に没頭する真理。逃げるのでもなく楽しむのでもなく。1980年代の受験勉強と少子化の時代のそれとはやはり言葉の重さが違う感は否めません。目的と手段が転倒してしまった人生の顛末は幸せとは何かについて考えずにはいられません。夢見がちな11歳の少女、智子。クトゥルー神話みたいな夢で始まる彼女の物語は絶望的な現実を前にしての夢への逃避です。夫との子供をお腹に宿している恭子。世界の破滅を前に、彼女の人格はブラックボックスに飲み込まれていきます。本書は、未来を奪うことで女性の”今”というものを描こうとした作品であるともいえるでしょう。
 新井素子の作品は独特の語りで知られていますが、本書もまた例外ではありません。リリカルな文体にもかかわらず、ときに知的でときにグロテスクなことをさらっと口にする、そんなアンバランスさがたまりません(笑)。
 彼女の作品を読んでると、一人称と三人称の区別が分からなくなって不安定な気持ちになることがあります。本書もそうです。圭子の視点のときには一人称、他の4人の視点のときには三人称というのが原則ではありますが、しかしながらそのルールはときどき破られています。こういうのを視点の混乱として忌み嫌う読み方もあるのかもしれませんが、しかしながらこれが新井素子の魅力であることは間違いありません。
 ごくごくたまにですが、日常会話の中で自分のことを自分の名前で表現する人がいます。そういう人に出会うと正直不安な気分になりますが、それというのも、自分のことを他人事のように話しているように感じられるのが無責任な子供みたいに感じられるからじゃないかと思います。
 一方で、ネット上のやりとりでそうした名前を主語として使用しているのを見ても別に何とも思いません。なぜなら、パブリックな場であるネット上で”私”や”俺”といった主語を使うと文責が曖昧になってしまうということと、ネット上の人格とリアルの人格とは区別して考えるべきといったことなどが理由として挙げられるでしょう。埋没する自我。乖離する人格。しかしながら、それは何もネット上に限ったことではないでしょう。自らの個性について悩んでみたり、あるいは自分のことなのにどこかそれを他人事のように見ている自分を意識してみたり。そういった視点や焦点のぶれをダイレクトに表現した結果として生まれるのが、新井素子の独特の語りの正体ではないでしょうか。そして、それを視点の混乱と読者に思わせないのが彼女の筆力ということなのだと思います。
 SF文庫に収録されているお話ではありますが、SFなのは一週間後に人類が滅亡するという設定だけで、あとは普通の小説と何ら変わりません。生きる意味とか人とのつながりの大切さとか、そういったことを訴えかけてくるお話です。たくさんの人に読んで欲しいオススメの一冊です。
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