『ミザリー』(スティーヴン・キング/文春文庫)

ミザリー (文春文庫)

ミザリー (文春文庫)


絶版本を投票で復刊!

 流行作家のポール・シェルダン。苦労の末に新作を書き上げた彼は、祝杯に酔ったままドライブに出て、雪の嵐に巻き込まれて転落事故を起こしてしまうが、たまたまその近くにいた彼の著作の愛読者にして元看護婦であるアニー・ウィルクスに助けられる。一命を取り留めたことにホッとした彼であったが、そもそもなぜ彼女は自分を病院に連れて行かなかったのか疑問に思う。すると彼女は驚くべきことをポールに要求する。自分ひとりのために小説を書け、と。本書はそんなお話です。
 これは恐ろしいです。よく、作家が執筆に集中するために、カンヅメになる、などと言いますが、本書でポールが置かれるのはそれの究極です。人里離れた一軒家に閉じ込められて、怪我で足が不自由なので動くに動けず、さらには薬物中毒にされちゃいます。これ以上ないくらいの”カンヅメ”です。そうして、ポールはアニーひとりのために、彼女の気に入る小説、最高のミザリーを書かされるはめになります。
 タイトルの「ミザリー」というのは、ポールが書いている小説のシリーズのことであり、その作中に登場するキャラクタの名前でもあります。彼自身が生み出したキャラクタでありながら、ポールはミザリーのことが嫌いでした。そんなミザリーを、ポールは最新作で”殺して”しまいました。もっとも、この表現はフェアではありません。作者にとって、キャラクタの運命・人生というのは必ずしも思うがままというわけではありません。それでもミザリーが死んだのは、結局のところ、現実の人間と同じようにミザリーも死んだのだと、ただそれだけのことでしかありません。それがポールが描いた本来のミザリーの物語です。
 しかし、その物語を読んだアニー・ウィルクスは激怒します。アニーは精神異常者です。これまでにも幾人の命を奪いながらも証拠不十分で無罪になっただけの本物の殺人狂です。そんな彼女にとってミザリーはお気に入りのキャラクタでした。絶望と拒絶しかない彼女の人生にとって、ミザリーは唯一共感できる存在でした。だから、アニーはポールの書いた最新作を燃やしてしまいます。彼の目の前で。自作によって生じた皮肉としかいいようのない危機です。
 原始、作者と読者の間にはかなりの距離がありました。しかし、インターネットの発達によって両者の距離はあっという間に縮まりました(もっとも、私にとっては依然として遠い存在ですけどね)。ですので、このサイトみたいに小説についてあーだこーだ好き勝手書いてる文章を作家なり編集さんなりが読んじゃって「てめーコノヤロー」とか思ってる可能性は多分にあるわけです。どうもスミマセン(笑)。でもでも、仮にいくら距離が縮まったとしても、アニーみたいに原稿を燃やせるわけでもなければ、監禁して薬漬けにして包丁振りかざしたりして小説の執筆に関与・介入できるわけじゃないので、まあいいじゃないですか。作者は好きなように書けますし、それに対して読者は好きなことを言える。そんな関係が理想だし、今だってつまりはそんな感じだと思います。小説ってホントに素敵ですね(笑)。
 他方で、ネットによって距離が縮まってるなー、と感じちゃう場合があるのもまた確かです。ネット上の書評・感想を読んだ作者さんなり編集さんがそれに対して異議・異論・提言をしてる文章もネットサーフィンしてればしばしば目にしますしね。そういう気持ちも分からなくはないです。自分のことはとりあえず棚にあげますが、酷い感想・書評も実際あるにはありますしね。
 確かに、私たち読者は作家さんに対して物理的な介入ができるわけじゃありません。しかし、アニーがポールに投げかけたような無思慮で無遠慮で無知厚顔な言葉が作家さんに届いちゃう場合が今の世の中あり得るわけで、そしたら作家だって人間です。そりゃ傷付くこともあるでしょう。読者としてはもちろん作品について思ったことを言ってよいのですが、その一方でアニー・ウィルクスのようにはなってはならないことを、自戒の意味も込めて強調しておきたいと思います。
 本書では、作家と読者との関係がかなりカリカチュア(戯画的)に描かれています。訳者あとがきでも少々触れられているのですが、作者のキングは一部の読者によってホントに酷い目にあったみたいですね(笑)。そんな恐怖の思い出がキングに本書を書かせたのは間違いないのですが、一方で、両者の密接にならざるを得ない関係もまた描かれています。そもそも、アニーは殺人狂なのですから、ポールを発見した時点で殺してるのが本当なのです。でもそうはしませんでした。それは、彼女がポールの作品のファンだったからです。どんなに酷い目にあわされても、それでも読者なしに作家は存在し得ないのです。また、ポールはアニーに脅迫されて不本意ながらも彼女のための物語を書かされます。理不尽極まりないシチュエーションではありますが、そんな中からも創作の泉は沸いてきます。監禁状態下の不満と不安と恐怖の中にあっても書かずにはいられない作家の本性。本書の中にほんのちょっとだけ垣間見える作家と読者の幸せな関係。それがあるからこそ、残りの大部分を占める恐怖が際立ちます。読んでて本当に痛いです。精神的にも肉体的にも激痛です。まさに恐怖小説の傑作です。
 その一方で、本書にはメタ小説的な楽しみもあります。ポールはアニーの狂気にさらされて「ミザリー」を書かされることになりますが、そのテキストが実際に作中に挿入されています。ポールが使わされるワープロには「n」の字が欠けています。そのため、作中の「ミザリー」のテキストで「n」が子音となる文字はすべて手書きされています。凝ってます。また、そんな「ミザリー」を書く過程における創作論も披露されてて、これもまた読み応えがあります。そうした知的で有意義な要素と相俟って、理不尽極まりない状況下での恐怖がひと際増します。そんなメタ小説としての枠組みが、物語を飛び越えて読者に対して恐怖と、さらにはその問題の深刻さを伝えてくるんじゃないかと思います。とにもかくにも傑作です。オススメ。
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【追記】新作『リーシーの物語』の刊行に伴い、綿矢りさの解説付きで新装版として復刊されました。
ミザリー (文春文庫)

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