別館号外さんちゃ0130号

 縮小更新だっていいじゃない。ネタがないんだもの(笑)。



http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=1168

で、ここからが本題なんですけど、「葉桜」は既に台湾において「櫻樹抽芽時,想処ン」のタイトルで商周出版版から飜譯されておりまして、それが2004年の12月。で、近々日本のミステリを積極的に飜譯紹介している獨步文化から今月末、これの改訂版がリリースされる予定になっています。
さらに京極堂シリーズについてはこれまたトックの昔に飜譯されておりまして、「姑獲鳥の夏」が「姑獲鳥的夏天」として時報出版からリリースされたのが1998年の4月。さらに「魍魎の匣」は同じく時報出版から1999年の11月。

 こういうありがたい指摘に触れることができるのでネットサーフィンはやめられません(笑)。



「涼宮ハルヒの分裂」の構成と続きに興味があるなら「学校を出よう!」を読もう
 言いたいことは分からなくもないです。でも、ハルヒの続きが気になるのならおとなしく待ちますよ。続きがいつ出るのか知れないというものではないですしね。その方がハルヒの新刊を素直に面白く読めるでしょう、と『学校を出よう!』未読者の私などは正直思うわけですよ。『学校を出よう!』を勧めようとするのであれば、やはりそれ独自の魅力を前面に押し出さないと苦しいんじゃないかなぁ、と、こう書いておけばきっとフジモリが『学校を出よう!』について語ってくれると思うので、それに期待しましょう(笑)。

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/a25a8f10f4e1a7bf750604ceb05a21b8
 何がペダントリーかは程度の問題だと思うので、別に間違ってるとは思いません。思いませんが、文学少女の場合、元ネタになってるのは一巻につき一冊なんだからそれくらい読めばいいんじゃね? というのが正直な気持ちです。4巻までですが、アイヨシの元ネタ既読率は2勝(『人間失格』と『オペラ座の怪人』)1敗(『嵐が丘』)1分け(『友情』)でした。1分けというのは、絶対読んでるはずなのに内容を微塵も覚えてないという意味です(←むしろ完全敗北?)。ってか、文学少女は予め元ネタを分かるようにしておいて欲しいなぁ、と思うのは私だけでしょうか? できれば事前に読んでおきたいのです。その方が憂いなく本作も楽しめて、実際そのせいもあって、幸いにも元ネタ既読だった4巻はとても面白かったです。
 そんな私の現在の課題図書は文学少女シリーズです。元ネタの消費のされ方(読み捨てる一方で読み捨てない)、心葉の語りと何者かによる太字の語りの並列という構成の意味、”物語を食べちゃう”という一見無意味な設定の理由、とか、そんなことを考えながらプチ書評するつもりです。気が向いたら来週辺り四連続ネタばれプチ書評とかになると思うので、もしよろしければ予め文学少女とその元ネタを読んでおいていただければ幸いです。いや、できるとは限らないのですが(汗)。

 先日書いた記事、理解に苦しむ観戦記を、コラム: 医療 不思議体験 グルメ 囲碁さんに紹介していただきました。……ありがとうございます。いや、読んでもらいたくて書いたものなので取り上げていただいたのは嬉しいのです。ただ、負の感情の赴くままに書いたものなので普段とは勝手が違うと言うか気恥ずかしさがあるのです。しかし、間違ったことを書いたとは思ってませんしね。最近、「▲5四歩は羽生の新手ではない」みたいなダイレクトなキーワード検索でお客さんが何人かいらっしゃってたのは把握してましたので、紹介されるかもという覚悟はしてました。それが囲碁系の方というのが少々意外ではありましたが、将棋系の人は話題にしづらいのかもしれませんね。プロよりアマの手が先にあったとしても、プロにはプロの権威がありますから新手と呼んでも別にいいとは思うのですが、アマの手の価値がそれで否定される謂れもないでしょうし、両者の価値は両立し得るものでしょう。読み返せば読み返すほど理解に苦しみます。てなことを考えてたら、タイミング良くアホヲタ法学部生の日常さんの「もえたん的存在」という説明概念ー試論を読みまして、ホントに偶然なのですが我が意を得たりという感じです。このような場合、プロの手をもえたん的存在」と呼べば良いのですよ(笑)。めでたしめでたし(半分以上本気で)。