別館号外さんちゃ0016号@アイヨシ

 『春期限定いちごタルト事件』漫画化にビックリ。
 筒井康隆とディック、現実と虚構、映画『スキャナー・ダークリー』についてダラダラ語ってみました。
 現実と虚構の問題について考えるときに、アイヨシの頭の中にパッと浮かんでくるのが筒井康隆とP・K・ディックです。この二人は、現実と虚構との区別があいまいになっていくという現代的なテーマについて、偏執的なまでのこだわりを見せていますが、その解決の方向性が正反対なものになってしまったのが面白いと思っています。

 筒井康隆の場合、現実と虚構との混在は虚構の存在意義を失わせ、ひいてはそれを創作する側の存在意義が奪われてしまうという問題に対し、じゃあ虚構を超えたものを創作してやろうという、既存の虚構の概念をぶち壊す方向にその意欲が向かいます。すなわち、超虚講論です。その実作が『虚人たち』『虚航船団』『残像に口紅を』などです。それらが普通の意味での物語として面白いかはあえて申しませんが(笑)、とても斬新な試みであって普通じゃない意味で面白いということは本心から断言できます。

 対して、P・K・ディックですが、彼の作品はとにかく本物とニセモノとの異同をこれでもかというくらいに描いてます。『虚空の眼』しかり『死の迷宮』しかり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』しかり。現実と夢、現実とヴァーチャル・リアリティ、人間とアンドロイドなどなど、SF的なアイデアを積極的にとりこみつつも、その根本にあるのは現実への不安です。よくぞまあ、セルフパロディに陥らずに各作品に個性を持たせることが出来たなぁ、と感心せずにはいられません。そんな彼の創作姿勢は、虚構ではなく現実、自分自身をぶち壊す方向へと向かってしまいます。すなわち、薬物中毒による自己破壊です。もっとも、彼がヤク中になってしまった原因を創作だけに求めてしまうのは正しくなくて、鬱病気質からの脱却とかそういうのもあったのでそこは誤解しないで欲しいです。それはともかく、ヤク中になった結果彼を待っていたのは”意識の向こう側”などといった気の利いた世界などではなく(少しは見えたかも知れませんが)、過酷極まりない悲惨な現実だけでした。そんなヤク中時代の経験をベースにした自叙伝的な作品が『スキャナー・ダークリー』なわけです。

 ディック作品の中でも屈指の傑作であり、かつ、鬱で凹める『スキャナー・ダークリー』ですが、なんと映画化されました。確かにディックの作品はこれまでいくつも映画化されてきました。映画史上最も映画化された著作を持つ作家とも言われてはいますが、しかし、なぜそんなに映画受けが良いのか、個人的にはまったく見当がつきません。
 しかしまあ、私自身とても好きな作品の映画化です。興味は湧いてきましたので一応観てきましたが、人気が出ないであろうこと間違いなしの内容でした(笑)。
 その理由は、この映画が全編にわたって採用しているロトスコープ(=アニメーションで人物の動きをリアルに表現するため、まず俳優を使って撮影し、そのフィルムを動画台の下から投影して1コマずつトレースしていく技法)という手法にあります。
 この映画、主人公アークターをキアヌ・リーブス、ドナをウィノナ・ライダーという有名どころが演じているのですが、ロトスコープの手法によって、人間が演じているという感じが薄れてしまっているのです。ですから、俳優・女優ファンからすれば食指が動きにくいものになってしまってます。また、アニメとして観たときにも、正直写実的過ぎてアニメっぽくなく、かつ、野暮ったいので、アニメファンの間で話題になることもほとんどないと思います。
 ロトスコープを使った理由は分かります。ドラッグによって曖昧となってしまった現実感を、その現実全体をアニメ化することで表現したかったはずで、実際ときどき出てくる中毒による幻覚・妄想は実に自然なものになってました。それに、スクランブル・スーツという特殊な服もCGでとても綺麗に処理されてました。しかし、全体的な印象として地味なものになってしまっていることは否めません。そのストイックな姿勢は決して嫌いじゃないのですが……。
 メジャー化を妨げるもうひとつの要因として、ビックリするくらいに原作に忠実である、というのがあります。いや、こんなに原作そのまんまだとは思いませんでした(笑)。ホントに原作通りなので、原作厨のアイヨシみたいな人間にとっては不評なわけがないのですが、原作を知らない方が観たらどういう思いを抱くのかは興味のあるところではあります。それはさておき、原作を再読しているような気分になった、というのがこの映画を観た正直な感想です。
 ただし、原作とはひとつだけ違う仕掛けがあって、これには少し驚きました。原作を読み返してみるとそういう読み方はできなかったので、映画オリジナルの仕掛けということになりますが、そういう見方・アレンジもなくはないですね。ただ、それだとあまりにもアークターが不憫なように思うのです。そういう意味では、原作を知らない方がこの映画ではより鬱な気分になれるのかも知れません。お金と時間(上映時間100分)をかけて凹みたい人にはオススメできる映画でした(笑)。

 ちなみにこの『スキャナー・ダークリー』、もともとは創元推理文庫から『暗闇のスキャナー』(山形浩生・訳)という邦題で刊行されていましたが、映画化による版権移動の結果、ハヤカワ文庫から『スキャナー・ダークリー』(浅倉久志・訳)という邦題で新訳版が刊行されることになり、『暗闇のスキャナー』は絶版・入手困難となってしまいました。ただ、ここだけの話、訳者・山形浩生のサイトで全文(!)が公開されちゃってます。両者の内容はもちろん同じですし、訳文について好みはあるでしょうが、私は浅倉版より山形版の方が好きなので、興味のある方はわざわざ買わずとも読む方法があるということをお知らせしておきます(笑)。
【関連】
〈補足〉山形訳と浅倉訳
ディックと太宰、『流れよわが涙、と警官は言った』と『人間失格』を肴にダラダラと駄長文を