『ヘミングウェイごっこ』(ジョー・ホールドマン/ハヤカワ文庫)

ヘミングウェイごっこ (ハヤカワ文庫SF)

ヘミングウェイごっこ (ハヤカワ文庫SF)

「いまの指摘にはAマイナスをやろう。彼らは、アメリカの国民性の男性的側面に累積的に影響を与えている作家たちだよ。一言ではいいあらわせないが、特徴ははっきりしている。個人主義的で競争崇拝、短期的には楽観主義、長期的には実存主義。”おれの死んだあとにはなにも残らんかもしれんが、それでも地上にあるかぎりは、絶対に仕事をやり抜いてやるぜ、たとえ周囲がバカばっかりでも”。パターンはわかるだろう?」
(本書p118より)

 1922年。パリ市内リヨン駅構内で紛失したヘミングウェイの未発表原稿。本書の時代設定はそれから75年後。大学でヘミングウェイを研究しているジョン・ベアドが、若き詐欺師・キャッスルと出会うことで巻き込まれる消失原稿の贋作作り。贋物を可能なかぎり本物らしく見せるため、ヘミングウェイが使っていたタイプライターを探し、その時代の紙やインクを見つけ出し、さらには初期のヘミングウェイの文体やテーマについて考察し、いかにもそれらしい作品が描かれています。その作品が描かれていく過程には、確かに一種のコン・ゲームにも似た悪ふざけの面白さがあります。
 そもそも、本書はヘミングウェイの熱心な研究家でもある著者が、ヘミングウェイの消失原稿を自分で書き上げ、それを作品として発表するにはどうしたらよいか?という”手段”としての側面があります(本書巻末の訳者解説参照)。本書は著者のヘミングウェイ研究という趣味とSF作家としての実益を兼ねて描かれた作品なのです。それだけに、ヘミングウェイへのこだわりは半端なものではなく、アメリカ文学にはとんと疎い私でも引き込まれるに十分です。
 タイトルのみならず章題など至る所にヘミングウェイに徹底的なこだわりを見せながらも、それでいて作品には衒学的な雰囲気が一切ないのは特筆すべき点です。よどみのない語り口とシンプルながらも存在感のある登場人物によって進展していく物語のテンポのよさは、SFとしての奇抜さと相まってリーダビリティ抜群です。
 本書は平行世界を描いた時間SFでもあります。消失した原稿の創作・捏造は、万一それが本物だと認められてしまった場合には、文学史を変えてしまう可能性があります。つまり、過去の改変による未来の分岐と似たような現象が生じるわけです。本書は、そうした学説の混迷が平行世界としてダイレクトに投影されたものだと理解することができます。
 そうした平行世界のイメージには、ベトナム戦争とそれに伴うドラッグの体験が強く影響しています。思うに、If(もし〜だったら)の物語としてもっとも一般的なテーマは戦争と恋愛ではないでしょうか。生死を判定する運試しのサイコロが絶えず振られ続け、幾多の可能性が生じては消えていく過酷な体験には、確かに人生の分岐を想起させるものがあります。また、戦争で負ったストレスに対処するために服用されたドラッグにも、自我を危うくし現実感を喪失させる効果があるものと思われます。そこに、平行世界のイメージが入り込んでくる余地があります。一方で、恋愛は人生における選択肢の決断をもっとも普遍的にして身近なものとして感じることができるテーマです。そして、戦争と恋愛は、ヘミングウェイの作品を読み解く上で欠かせないテーマでもあります。ヘミングウェイとSFとが巧みに絡み合いながら、何とも言いがたい結末へと突き進んでいきます。
 探究心と想像力とが奇妙な形で結合した奇抜な作品ではありますが、全体に例えようのないユーモアに満ちた一冊としてオススメです。