『BLOOD〜真剣師将人〜  2巻』(落合祐介/ヤングキングコミックス)

俺は こんなにも
将棋が 好きだったのか

 打ち切りですね、わかります。
 思うに、大金を賭けた勝負ならまだしも、命まで賭けてしまうと勝負の醍醐味というものを描きにくくなってしまうのだと思います。なぜなら、勝負の世界は結果がすべてですから、勝負の過程にどれだけの紆余曲折があったとしても、勝利という結果はそのすべてに優先してしまいます。途中、どれだけのミスがあったり相手の好手があったとしても、勝てばよいのです。ましてや命がけとあれば尚更です。
 勝敗を分けたポイントといった技術的なポイントや、あるいは後悔や慙愧の念、自分自身の弱さや無能感といったものを否応なく実感させられる勝負の厳しさを描こうと思ったら、敗者の視点からの方が描きやすいといえます。しかし、それも命あっての物種です。負けを描く機会を逸してしまったのが、本作が打ち切りで終わってしまった理由ではないかと愚考する次第です。
 893的人間ドラマは割りとキレイに決着がついているだけに、だからこそ、もう少し将棋の真剣勝負が描かれて欲しかったと、一将棋ファンとして惜しまれてなりません。



 作中の盤面などについて少々。対ヨシオ戦です。
●第1図(p30より)

 将人の菊水矢倉対ヨシオの右玉で、左辺において桂交換が行われたと思われる局面です(持ち駒は推測)。右玉対策として菊水矢倉(ミレニアム)が有力とされていますから*1、命がかかった狂気の一局にしては、いや、だからこそというべきか、棋理にかなった局面だといえます。いかにも元棋譜がありそうな局面ですので、何かご存知の方がおられましたらご教示いただければ幸いです。
 続いて対志賀春棋戦です。
●第2図(p208より)

 後手玉は丸裸でいかにも危険な状況ですが、一見すると強固に見える先手玉も、後手の三枚の大駒がすべて急所を睨んでいるので、見た目以上に危険な状況です。とはいえ、形勢自体は先手がよい局面です。そこで放たれたのがこの△6七金です。 
 志賀ならずとも意表を突かれる金のタダ捨て。▲同金でも▲同歩でも先手玉の側面が薄くなって後の△5三歩成が厳しく残ります。まさにひねり出された一着です。とはいえ、放っておいたら△7七角成から先手玉は詰んでしまいますし、そうでなくとも金を取る手は大きいですから志賀は▲同金と指します。
 それから数手進んで△8六飛の局面です。
●第3図(p228より)

 ▲7一銀に対して怒涛の飛車切り。とはいえ、▲同歩と取ってしまうと△7七角成からの詰みがあります。何と恐ろしい……。ここで作中では預かりとなったわけですが、実はこの将棋には元棋譜があります。2011年11月20日JT将棋日本シリーズ勝戦渡辺明竜王羽生善治JT杯覇者戦がそれです。
【参考】将棋日本シリーズ | JTウェブサイト
 元棋譜の結果を加味しますと、もしも対局が再開された場合には将人が勝利する展開が予想されるわけですが、そんなことをいっても詮無きことではありますね……。
 ちなみにこの将棋、志賀春棋が途中で「あと58手で 勝ってみせるよ」と手数予告(といっても、自分の胸のうちでいってるだけですが)を行っています。将棋の終局は相手次第なのでそんなのできるわけないと思われるでしょうが、何とそれが実際に達成された将棋があります。『将棋世界』2012年10月号「棋界のトリビア」で紹介されている第32期王座戦第1局:佐藤康光棋聖(当時)対森内俊之棋王(当時)戦がそれです。記事によりますと、第1局を主催した中国新聞が創刊115周年を迎えていたことから、それを意識した佐藤棋聖が「115手で勝つ」と宣言したら、実際に115手で勝ったというもの。この場合、勝者よりもその手数で投了した敗者の心境のほうが気になりますが、それにしても、こんなことってあるんですね……。
【関連】『BLOOD〜真剣師将人〜 1巻』(落合祐介/ヤングキングコミックス) - 三軒茶屋 別館

*1:普通に8八に玉を移動させて矢倉に組むと、後手から角のニラミを利かしながら△8五桂という狙いがあるので、菊水矢倉やミレニアムのように8九に玉を置けば安心、という理屈です。