俺はこうやって負けてきたし勝ってきた!!!!*1

ハチワンダイバー 14 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 14 (ヤングジャンプコミックス)

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 ハチワンの右角といえば、なんといっても右四間飛車戦法です。相手が居飛車だろうが振り飛車だろうが、とにかく右四間飛車。飛車角銀桂の一点攻撃を見せながら居玉から穴熊まで柔軟に玉を囲う変幻自在の指し回しは、シンプルなようで奥の深い戦法です。
 ハチワン内でも雁木や矢倉など昔からある戦法の他にも2手目△9四歩やいわゆる新型四間など様々な戦法が登場しています。「なんでもあり」な現代将棋にあって序盤のバリエーションは膨大なものですが、その中であえてひとつの戦法にこだわるメリットは何か? 例えばゴキゲン中飛車の産みの親として知られる近藤正和は、「僕は相手との呼吸よりも、自分との呼吸が合わないと、将棋が指せないんです。」*2と述べていますが、自分の棋風と戦法とのマッチングを第一にする考え方もあります。また、研究会全盛の時代にあって生半可な知識だけで戦法を選んでしまいますと、情報負け=作戦負けとなってしまい、力をまったく出せないままに完封負けしてしまうことも決して珍しくありません。ですが、ひとつの戦法に特化して研究すれば、常に自分の土俵で戦うことができます。
 反面、そうした研究が実を結んで勝利という結果を手にすることができたとしても、今度は一対多という研究合戦が待っています。多くの棋士によってその戦法の弱点や対策が模索され、そうなると今度は対策の対策が必要となる……まさにイタチゴッコです。それまでの中飛車ゴキゲン中飛車の違いについて、近藤は「中飛車とともに散る覚悟があるかないか、それが大きな違いでしょう」*3と述べていますが、これは決して大袈裟な表現ではなくて、ひとつの戦法に殉ずるということは、その対策の決定版が発見されてしまうリスクを背負うことと同義です。「刀を鍛え研ぐようにひと振りの”右四間飛車”を我が子のように育ててきた」(ハチワン14巻p48〜49より。)に将棋コロシアムの観客が感動するのにはそうした背景があります。
 平成23年度のプロ棋界において、期せずしてそうしたリスクが二人の棋士によって顕在化してしまいました。かつて四間飛車に革命をもたらした藤井システムによって棋界を席巻した藤井猛九段と、先手番なら石田流三間飛車、後手番ならゴキゲン中飛車という二大エース戦法によって二冠を奪取した久保利明九段。

 勝ちか負けか。棋士の人生は、その残酷なまでの繰り返しだ。明快な勝負の世界で、人は何を得て、何を失うのか。遅咲きながら、17年前に革命的な新戦法をひっさげて将棋界を席巻した藤井猛九段(41)。2期連続の降級で行き詰まり、苦しみながらも、新境地を模索する。
朝日新聞デジタル:降級の藤井九段 “新鉱脈”にかける - 将棋

 四間飛車穴熊にも急戦にも対応できる完全戦法としてこれまでの定跡を一新させた藤井システムですが、いわゆる羽生世代や渡辺竜王などの実力者たちによってたかって対策を講じられた結果、ファーム落ちさせざるを得なくなります。その後、先手番では矢倉・藤井流早囲い、後手番では角交換四間といった戦法を新たなエースとして採用しますが、思うような結果を出せないまま、ついに平成23年順位戦ではB級2組へと降級してしまいます。

「ウイルスと新薬の関係に似ている。高い勝率を残してきたゴキゲン中飛車への対抗策として超速が出てきた。プロだから、いいと思えば採用するのは当然。僕にはまだ、超速を打ち破る新薬を見つけられていない」
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0004982101.shtml

「現在のタイトルホルダーには、さまざまな戦型をこなすゼネラリストが多い。パソコンによる研究が全盛となった今、自分のようなスペシャリストであるほど研究され尽くす。不利といえば不利だが、いろんなキャラがいた方がいい」
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0005001857.shtml

 久保九段の後手番のエース戦法はゴキゲン中飛車です。ゴキゲン中飛車には▲3七銀型急戦・▲3六銀型急戦・▲5八金右急戦(超急戦)・▲7八金型・丸山ワクチン穴熊といった対策が試みられてきましたが、どれも決定的なものとはいえませんでした。ところが最近になって有力な対策が現れます。玉の移動よりも▲3七銀〜▲4六銀を優先する「超速▲3七銀」と呼ばれる指し方です(【関連】asahi.com(朝日新聞社):「超速3七銀」プロに浸透 第17回升田賞に星野三段 - 将棋)。
 「超速▲3七銀」に対する有力な対策を打ち出すことが出来ないまま、久保は棋王・王将というふたつのタイトルを失い、さらには順位戦もA級からB級1組への降級してしまいます。勝負の厳しさ、のひと言で片づけるにはあまりに厳しすぎる結末です。ひとつの戦法に殉じるリスクの恐ろしさです。
 とはいえ、長い目で見れば、これもイタチゴッコの一環に過ぎないのでしょう。ゴキゲン中飛車についていえば、久保九段以外にも若手振り飛車党を中心に、菅井流△4四歩といった「超速▲3七銀」対策が模索されています(一方で、若手振り飛車党が居飛車の勉強をしている、なんて話も聞きますが・汗)。また、藤井九段ですが、これまでファーム落ちさせていた藤井システムを再び一軍で起用して結果を出しています。2012年5月30日王位戦挑戦者決定戦では渡辺明竜王を相手に藤井システムを採用して大熱戦の末に勝利。王位への挑戦権を獲得します。藤井九段が▲6六歩(△4四歩)と角道を止めたときの某巨大掲示板Twitterでの将棋クラスタの反応たるや、まさに右角が右四間飛車を指したときを思わせる盛り上がりです。
 棋士があるから戦法があるのか、戦法があるから棋士があるのか。使っているはずが、いつの間にか使われている。戦法という概念は、将棋の魅力であり魔力でもあるのです。

最新戦法の話 (最強将棋21)

最新戦法の話 (最強将棋21)

*1:ハチワン14巻p34より。

*2:『最新戦法の話』(勝又清和浅川書房)p150より。

*3:『最新戦法の話』p149より