『チェスの話』(シュテファン・ツヴァイク/みすず書房)

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

 「目に見えないコレクション」「書痴メンデル」「不安」、そして「チェスの話」の4編が収録された傑作短編選集です(もっとも、「チェスの話」は85頁なので短編というより中編と呼んだほうが妥当な気もします)。将棋ヲタ的観点から「チェスの話」目当てで手に取りましたが期待通りの読み応えで、加えて他の3作もまた面白かったです。まさに傑作選です。
 「目に見えないコレクション」第一次大戦とインフレが背景にあります。骨董商が取引のために向かった盲目の版画コレクターが愛でる版画の数々。しかしそれは、貧困に苦しむ家族によって実はほどんど売られていて……。経済によって貨幣の価値が変動することで、それによって取引される品物の価値までも変動するわけですが、だからこそ「計り知れない価値観」もあるというお話です。「書痴メンデル」もやはり第一次大戦下のお話。言葉と標題と名前を食べることで脳髄という不可思議な生きものを養っているかのごとき人生を生きる博識のユダヤ人愛書家。しかし、書籍を注文するために送った手紙によってスパイ容疑をかけられて……。「痴」の字が当てられるべきなのは個人か世界か。本好きにはたまらなくも哀しいお話です。「不安」は前2編とは一変して、不倫をしていた裕福な弁護士の妻が脅迫されることで追い詰められるという、タイトルどおり”不安”を描いた通俗劇です。不倫をしたという意味では加害者で、でも脅迫を受けているという点では被害者で、そんな立場の二面性からくる現実感の崩壊が迫真です。
 そして「チェスの話」です。ナチスの圧政下でホテルに軟禁されて”孤独”という名の拷問をひたすら受け続けた弁護士(語り手の表現を借りれば、B博士)。自らの想念・妄想・思考の病的なまでの反復によって精神が磨り減っていく過程が本当に恐ろしくて、だからこそ、ふとしたきっかけによって偶然手に入った「チェスの本」によって救われ、チェスの対局がB博士の脳内に染み入り、それを鑑賞することで死に掛けていたB博士の頭脳が活気を取り戻していく様子がイメージとしてまざまざと浮かんできます。そして、だからこそ、このあとにくるB博士の新たな絶望も……。
 本作を読んで思い起こされるのが、升田幸三の戦中のエピソードです。二度目の召集でボナペ島に送られた升田は、死と隣り合わせの単調な毎日の中、やはり将棋のことばかり考えていました。ですがそれは自分で自分を相手にしての将棋ではありません。升田の頭の中にあったのは、当時の名人であった木村義雄名人と将棋を指すことだけでした。負かされた将棋の局面が見上げる空に再現され、名人と指した香落ち、平手の二局を徹底的に分析して研究しました。

 内地におったときと同様に、木村名人のことしか考えなかった。打倒木村の自信が、日を追って深まっていった。だからこそ、木村名人と指さずに死ぬことが、私には耐えられなかったんです。
『名人に香車を引いた男』(升田幸三/中公文庫)p193より

 宿敵との対局への熱意。それこそが苛酷な戦地において升田の理性を保たせ、未来への希望としてつなぎとめていたといえます。
 また、将棋の戦法は居飛車振り飛車に大別されますが、それに合わせて棋士居飛車党と振り飛車党とに分かれます。局面の形勢判断が問われるときにも「居飛車よし」「振り飛車よし」というような言い方もなされます。もっとも、現代将棋では居飛車振り飛車のボーダレス化が進みつつありますが、それでも基本にして根本的な戦法分類であることに違いありません。こうした2大分類による戦法分類が好まれる背景には、将棋というゲームを研究する上で、自分で自分を打ち負かすという人工的な精神分裂から逃れるために、居飛車党・振り飛車党という確固たる立ち位置が必要だからではないか。というようなことを本作を読んで考えさせられました。チェス世界チャンピオン・チェントヴィッツの専門バカ全開なキャラクタ描写も秀逸です。
 巻末の解説では、故児玉清ツヴァイクを好きだったという出だしから、日本のドイツ文学でのツヴァイクの位置づけや、ツヴァイクの略歴やエピソードが紹介されています。オススメの一冊です。