『囲碁小町 嫁入り七番勝負』(犬飼六岐/講談社)

囲碁小町 嫁入り七番勝負

囲碁小町 嫁入り七番勝負

 薬種商を営む桔梗屋の娘おりつは”囲碁小町”と呼ばれる評判の囲碁の打ち手。そんな彼女と碁を打ってコテンパンに負かされた御典医の隠居は、桔梗屋に対して、囲碁小町を嫁に取れるかどうか囲碁の七番勝負で決めたいと前代未聞の申し入れをする。戸惑うおりつであったが、家の得意客を失うわけにもいかず、何より「勝てばよい」との思いから七番勝負を受けることにするが……。といったお話です。
 囲碁を題材とした小説といえば冲方丁天地明察』を思い浮かべる方も多いかと思われますが、本書内でも初手天元を通じて渋川春海のエピソードが語られます。さり気ない読者サービスだといえます。また、本因坊秀策の時代が舞台となっているのも囲碁マンガ『ヒカルの碁』の読者にとっては親近感が湧くことでしょう。点と点が線でつながり面となる囲碁的な喜びを読書を通じて得られるのが嬉しいです。
 矢代久美子五段監修ということもあって、作中の囲碁の描写は実に本格的で安定感があります。安心して勝負の世界に没頭することができます。
 欄外に時折り囲碁用語の説明がなされたりと、多少囲碁の知識がないと難しく思われるのは仕方のないところかもしれません。だからといって、あからさまに初心者向けに描写のレベルを落としてしまっては作中で描かれている勝負の緊迫感のレベルをも落としてしまうことになりかねません。本書は、そうした専門性と勝負性とのバランス感覚が絶妙です。盤面の解説図など用いることなく、文章のみで勝負の様子と展開とが巧みに描かれています。

 勝利をあきらめたわけではない。希望を捨てたわけでもない。ただ碁を打つのがつらい。つらすぎて逃げ出したい。どうしても打たなければいけないのなら、いっそ早く負けて終わらせてしまいたい。勝ちを求めて身も心もすり減らし、結果、負けたときのつらさには、もうたえられそうにない。
(本書p143より)

 ”囲碁小町”という単語、あるいは”嫁入りを賭けた七番勝負”からユーモアで華やかな物語をイメージされるかもしれませんが、そうした色気は本書は皆無です。ただただ囲碁勝負が真摯に熱心に誠実に描かれています。嫁入りが掛かった番勝負ですので、おりつがやめようと思えばやめることはできます。だからこそ、一番一番の勝負に向かうために自らの心身をメンテナンスしなければなりません。自分はなぜ囲碁を打つのか。囲碁とは何なのか。そんな勝負の厳しさと喜びがとことん描かれています。だからこそ、最後の勝負は正直かなり不完全燃焼です。いや、これは何といいますかムニャムニャ……。勝つか負けるか。いずれにしても結果を受け止めるだけの覚悟が、ここまでくれば読者的にもできています。その上でこの展開は……。あまりに早すぎる整地*1です。勝負とは、はたまた人生とは往々にしてこういうものかもしれませんが、それでもやっぱりしょんぼりです。
 ちなみに、七番勝負の対局相手の一人である市兵衛ですが、その言動からして明らかに将棋のプロ棋士加藤一二三九段がモデルですよね(笑)。将棋ファンや加藤九段のファンも読んでみればいいと思うよ。

*1:囲碁用語で、終局後に地を数えやすくするために陣地をきれいに整えること。