「活劇少女」は静かに暮らしたい 小原愼司『コジカは正義の味方じゃない』

 『菫画報』『二十面相の娘』など、独特な絵柄と「すこし・ふしぎ」な世界観を持つ漫画家・小原愼司の最新作である『コジカは正義の味方じゃない』(通称:コジゃない)1巻が発売されました。*1
 フジモリは『菫画報』からのファンなので非常に楽しみにしていたのですが、期待を裏切らず、いや、期待以上に面白かったです。

 コジカは誰にも言えない能力を持つ少女。
 影からもうひとりの自分を呼び出すと、超人的な力を発揮するのだ。
 街のそこかしこに突然現れた異形の能力を持つ人々。彼らを世間は超法規住人、略して「超人」と呼ぶ。
 世間にもてあまされる超人たちと、超人であることひた隠しにしつつ貧乏脱出を狙うコジカの明日はどっちだ!?
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 舞台は「超法規居住人」、略して「超人」が日常に存在する現代。主人公・コジカは通常の人間の数倍の能力を持つ自身の影を自在に操ることができます。しかし、コジカはその力を「新聞配達のバイトを2件かけもつ」など我が家の苦しい台所事情を助ける用途でしか使用しません。普通はその力を悪いことに使ってお金儲けしたり、悪いやつらを退治してお金儲けしたり、となるところが、なんというか、セコくて「日常的」なのです。
 実際、作中に登場する超人も、「毛がたくさん」とか「うっすら透けているだけ」とか「首が50センチのびる」とか、奇人変人大集合と大差ありません。
 この「日常からちょっとずれた非日常」の匙加減が非常に絶妙で、「すこしふしぎ」な世界観は『菫画報』に通じるところがあります。
 『菫画報』も、とある学園を舞台に「やるときはやる。やらないときはやらない」女子高生・星之スミレを主人公としたコメディですが、その世界観も「すこしふしぎ」で、主人公スミレもまた「ありあまる能力と勢いを全く異なるベクトルにぶつける」少女でした。

 新城カズマ『物語工学論』で言うならば、<退屈な万能者>ともいえるキャラクター類型でしょうか。
 『菫画報』は、主人公と彼女を慕いふりまわされる男子生徒、そして彼女が所属する新聞部の友達や部長たちのゆるやかで不思議な日常をゆるゆると描いていましたが、「コジゃない」もまた、「超人」の主人公コジカと彼女を慕う一般人の白鳥くん、そして彼を慕うアリスこと鈴木さんの「チーム」による「超人」たちのゆるゆるとした物語です。
 作中では超人たちを集め管理しようとする政府の官庁(超法規居住人統括省)が登場し、コジカたちを管理下におこうとします。彼ら統括省と、日陰の道を歩まざるを得ない超人たちと、コジカたちを派閥に組み入れようとする正義の超人たちとが入り乱れてドタバタしていくお話なのですが、「コジゃない」ではコジカのスタンド能力*2である「影人間」たちが、けっこう活発に活躍します。

 作者が「変身(?)したときにカオを前髪でかくすことを思いついた」と初期コンテから髪型のみ変えたように、コジカの「影人間」など活劇がこの作品のキモの一つだと思いますし、『二十面相の娘』でこれでもかと活劇していた「活劇少女分」をこの作品でも満喫することができます。
*3
 作中の「超人」を「マイノリティ」に置き換えると、「虐げられるマイノリティ」というテーマ性を持った物語として解釈できるかもしれませんが*4、あえて「娯楽作品」として深い意味は読み取らず、「変な力を持つ人たち」や「それを利用しようとする人たち」のドタバタに巻き込まれてしまうコジカたちをクスクス笑いながら楽しむのが良いのかもしれません。
 「すこしふしぎ」な世界観を駆け回る「活劇少女」という小原愼司ワールドを満喫できる、オススメの1冊。2巻も楽しみです。

菫画報 1 (アフタヌーンKC)

菫画報 1 (アフタヌーンKC)

二十面相の娘 1 (MFコミックス)

二十面相の娘 1 (MFコミックス)

*1:略称「コジゃない」は『それでも町は廻っている』の石黒正数先生が命名したそうです。命名に関するエピソードはこちら。"小原愼司『コジカは正義の味方じゃない』の略称「コジゃない」についてのエピソード"

*2:勢いで言ってみた。後悔はしていない。

*3:小原愼司二十面相の娘 少女探偵団』P198

*4:例えば、アメコミ「X−MEN」のように