「規制」を「法」が行うということ

先日、都条例改正についてネタまじりに記事を書きました。
絶望した!フィクションに現実の法律を持ち込む東京都に絶望した! - 三軒茶屋 別館
これについてつらつらと補足を。
この改正(というより改悪)について様々なところで指摘がありますが、やはり「臭いものには蓋」という考えで安易に「法」で規制してしまうところに問題がある、ということは事実だと思います。
以前にもそういった指摘はありました。
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201007160364.html

行政は「絶対にしてはいけないこと」だけを規制し、個人の生き方や価値観に介入することは許されない。それが「市民社会の本義」だと宮台さんは考える。条例改正を必要だと主張する人たちは「目を覆いたくなるようなひどいマンガがある」と言うが、「自分が見てイヤなマンガだから、ただちに行政的に規制せよというのは筋違いだ」と指摘する。
(中略)
 「事実上の表現規制は、子どもたちとの間でどんな社会、どんな性愛関係や家族関係がいいのかを議論するチャンスを奪ってしまう。これは市民の責任放棄であり、社会の自殺だ」

この記事を読んで思い出したのが、コンサートホールで案内係をやっている友人の話。
「指定席に他の人が座っているとき、案内係に向かって『あのひと、私の席に座っているんだけど、どいてもらって』という人が多い」
とのこと。
直接「その席、違うんじゃないでしょうか?」と話すとカドが立つ、という日本人の美徳なのかもしれませんが、直接の会話を他人に預けることで楽をしようとしているという見方もあります。
結局、規制の法律化というのは本来「親や周りの大人が子供の目に触れないようにゾーニングする、あるいは子供を叱り、ルールを身につける(いわゆる”しつけ”)」という労を回避して「法律」という大義名分にアウトソーシング(=ぶん投げ)してるんじゃないかなぁ、と思ったり。

ワンマン電車の運転手
82 おさかなくわえた名無しさん New! 2009/05/27(水) 16:08:01 ID:+uTdOOPI
近所を走るワンマン電車での出来事。
3歳くらいの子供が靴のまま椅子の上に登っては飛び降りを繰り返し、
携帯をイジッていた母親がやっとそれに気付き一言。
母親「ほら。運転手さんに怒られるよ」
間髪入れずに運転手がマイクで
運転手「運転手さんは怒りませんよ。お母さんが叱ってあげてくださいね。」
乗客は少なかったが、周りはクスクス。母親赤面。
運転手GJと思った。
秒速にちゃんねる:ワンマン電車の運転手 - livedoor Blog(ブログ)

このコピペを思い出しますね。
何がよくて何が悪いかの判断を子供に教えること、そして子供に面と向かって「叱る」こと、子供とともに「ルール」を決めることという、いわば「当たり前のこと」を「法」に頼って回避するというのは、なんか違うんじゃないかなぁ、と思ったりしてます。
オチは特にないのですが、この件については締めの記事を書きますのでしばしお待ちを。