『薄命少女』(あらい・まりこ/アクションコミックス)

薄命少女 (アクションコミックス)

薄命少女 (アクションコミックス)

 私は本書を必ずしも全面的に支持することはできません、なんていってしまいますと大上段に過ぎますか(苦笑)。ですが、最終話において演出的に必要なのは分かるのですが、それでも、こういうお話で幽霊が出てくるのは正直好みではありません。それと、出生の秘密なんかもストーリー的には蛇足だと思います。もっと淡々と日常を描くだけでよかったと思います。
 で、いったいどんな日常が本書で描かれているのかといえば、タイトルどおり薄命な少女の日常です。なにしろ、第1話からして「余命宣告」です。いまでこそストーリー性のある4コマ漫画は珍しくありませんが、それでも、サザエさん時空などという言葉もあるように、4コマ漫画というのは”終わらない日常”を描くためのものとして発展してきた側面があると思うのです。そんな4コマ漫画で本書は死にゆく少女の日常を描いています。しかも笑いを交えながらです。
 本書の表紙はとても凝っています。自分の遺影を抱えている主人公・橘佳苗の立ち絵ですが、表紙カバーに四角い穴が開いていて、そこから表紙に直接描かれている白黒の表情が見えるようになっています。しかも、表紙には他にも佳苗の様々な表情が描かれているので、遺影の表情をいろいろ変えてみるというお遊びが楽しめるようになっています。
 死をネタにしたギャグ漫画ということで、不謹慎なものを想像される方もおられるかもしれません。確かにそういう面があるのは否めないのですが(苦笑)、でもでも、読んでてそういう感じはあまりしません。というのは、やはり主人公自身が自分の不幸をネタにしているからでしょう。残り少ない人生を笑ってすごしたいという気持ちとか、悲しみや恐怖を紛らわしたり、でも本音をポツリといってみたりとか、そんな笑い(?)です。
 また、佳苗は基本的には自らの寿命のことを周囲に隠しています。なので、自らの薄命をネタにしたギャグを佳苗がいっても相手にはその真意が伝わっていないことがままあります。つまり、ディスコミュニケーションとデスコミュニケーションが本書の笑いの特徴だといえるでしょうか(←上手いこといったつもり)。
 リアルだとちょっとオススメしづらくて、ネット上だからこそオススメできる一冊です。
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