『温かな手』(石持浅海/創元推理文庫)

温かな手 (創元推理文庫)

温かな手 (創元推理文庫)

 そんな中で、本格ミステリにおける最も素朴で根源的な茶々は、「殺人事件に巻き込まれたのに、どうしてお前はそんなに冷静なんだ」というものです。
 確かにそうですよね。目の前で人が死んでいるのに、普通の人が冷静でいられるはずがありません。探偵ならば納得できます。探偵という役回りは、歩い程度の超人性を持っています。超人なら冷静でもいいでしょう。
 でもワトスン役は、読者と同レベルか、少し下でなければなりません。ワトスン役は超人性を持っていてはならないのです。それなのに、なぜ彼や彼女は探偵役と同様に、あるいはそれ以上にれいせいでいられるのか(「自分はすっかり動転してしまった」などと記述しているわりには、妙に周囲を冷静に観察しているんですよね、語り手であるワトスン氏は)。
 本作『温かい手』は、そのような本格ミステリにつきものの疑問、あるいは突っ込みどころに対しての、ひとつの回答として書きました。
(本書あとがきp265より)

 本書に登場するギンちゃんとムーちゃんという探偵役は人間ではありません。人間と同じような外見こそ擬態していますが、皮膚の接触によって他人の生命力を吸収することで生きている謎の生命体です。上記引用の疑問を解消するために、よりとんでもない疑問を用意するという大胆不敵な設定の導入には恐れ入るほかありません(笑)。
 ですが、この設定によって、確かにワトスン役の冷静さや探偵役の超人性、さらには探偵役とワトスン役の共存関係といったものまでもが説明されてしまってます。そんな奇妙でありながらそれなりに合理的な設定が用いられた不思議な連作短編集です。
 とはいえ、巻末の東川篤哉の解説でも語られている通り、そうした設定の大胆さの割りに、本書で描かれている謎解き物語は「小さな発見とそこから繰り広げられる緻密で粘り強い推理」(本書p271より)であって、むしろケレン味に乏しいといってもいいくらいの堅実なものに仕上がっています。そんなパッケージと中身のミスマッチさから生まれる独特の読み応えが本書の醍醐味だといえるでしょう。
 本書収録の各作品は、冒頭で論点がまず明示されて、その後にお話が進んでその論点がどのような経緯で生じ、いかにして解決されたのかが説明されるという構成で統一されています。〈白衣の意匠〉。意外性はまったくありませんが、推理自体は緻密で楽しめます。〈陰樹の森で〉。縊死の際に死体から生じる排泄物を手がかりに緻密な推理が展開されます。本書収録作品中の白眉。〈報い〉。満員電車のストレスが痴漢に興じることによって楽しみへと転化するという痴漢の心理の説明に妙な説得力が(笑)。ミステリ的にはいやはや何とも。〈大地を歩む〉。ギンちゃんとムーちゃんとでは推理の方向性が随分違うのが前のお話とこのお話とでよく分かります。それにしても、その疑問は杞憂に過ぎるように思うのですが(苦笑)。〈お嬢さんをください事件〉。謎を解かない優しさ。〈子豚を連れて〉。飼い豚と飼い主の関係が本書の登場人(?)物の関係と対比されるのかと思いきやそんなこと全然なくて少々肩透かしでした。〈温かな手〉。本書のタイトルの意味が明らかになります。少々性急な展開のようにも思いますが、見事に落ちが着いてます。
 総合的には、奇妙にして堅実なミステリが堪能できる佳品としてそれなりにオススメです。