『非在』(鳥飼否宇/角川文庫)

非在 (角川文庫)

非在 (角川文庫)

「じゃあ、人を化かすタヌキっていうのは?」
「そう、非在のタヌキだ。化かすと信じている人の心の中に巣くっている。そういう素直なお人よしはいつか化かされるんじゃないかと、自分で自己暗示をかけてしまっている。そんな心理状態で夜道を歩いたりすると、風に揺れる枝が得体の知れぬ化け物に見えるし、フクロウの鳴き声が魑魅魍魎の哄笑にも聞こえる。自分で勝手に化かされるわけさ」
(本書p216より)

 鳶山と猫田のコンビが活躍するネイチャーミステリ・シリーズ第2弾です。もっとも、主要人物は共通ですが事件を理解する上で前作の知識はまったく必要ありませんのでご安心を。
 奄美大島の海岸に流れ着いた一枚のフロッピーディスク。そこに記されていたのは奇妙な日記だった。ある大学の未確認生物を調査するサークルのメンバーによる、人魚が現れるという伝説の島での調査記録。しかし、その内容には殺人事件のSOSまで記録されていた。フロッピーを拾った写真家の猫田は警察に届けるが事態は進展を見せない。痺れを切らした猫田は鳶山たちと一緒に幻の島探しに乗り出すが……といったお話です。
 薀蓄の過剰な作品ではありますが(笑)、基本的には人魚伝説が本書の軸となっています。で、人魚という存在を考える上では、人魚という架空の存在の伝説について考えるアプローチと、ジュゴンやアザラシといった人魚のモデルとして考えられている現実の存在から人魚について考えるという2つのアプローチが考えられます。つまり、非在から実在を考えるか、実在から非在を考えるかということになりますが、両者の中間に”存在”するのが人魚です。
 フロッピーに残された調査記録を元に真相を突き止めるという入れ子細工の構造のミステリです。フロッピーに残された記録のすべてが荒唐無稽で架空の出来事ということは考えられませんが、とはいえ、すべてがすべて真実だとは限りません。一方で、実際に島に到着して観察することで明らかになってくる事実もあります。調査記録という非在とフィールドワークという実在によって真実が明らかとなるという構造は興味深いですし、特に文体の分析からの推理はなかなか面白かったです。
 もっとも、本書の謎の興味は、ミステリのカテゴリ的には「何が起こったのか?」というホワットダニットに一義的には分類されるでしょうが、人魚伝説を念頭に考えればイメージとして浮かびやすい真相なのは否めないと思われます。そのため、真相が明らかになったときのインパクトがいまいちなのが少々残念ではあります*1
 あと、鳶山はもっと早く猫田の勘違いを正しましょうよ(笑)。いや、そういう関係(あるいは、そういう人間)だといわれてしまえばそれまでですが、本書の場合にはそうした段取りの悪さが真相のインパクトを削ぐ一因になっているように思うのです。
 エピローグの趣向もそんなにうまく決まっているとはいえず、物語としての後味もそんなによくもないのですが、一考に価する構造を持った作品だといえるでしょう。
【関連】
『中空』(鳥飼否宇/角川文庫) - 三軒茶屋 別館
『樹霊』(鳥飼否宇/創元推理文庫) - 三軒茶屋 別館

*1:そもそも、よくこんなメンバーで探索行に出たなぁという素朴な不満もあります(笑)。