『嘘つきは姫君のはじまり―恋する後宮』(松田志乃ぶ/コバルト文庫)

 本書は『嘘つきは姫君のはじまり』の第3巻に当たりますが、今までで一番面白かったです。
 そもそも、本シリーズは宮子と馨子の入れ替わりという捻れが根本にあります。つまり、宮子が馨子で馨子が宮子なわけですが、それに加えて、平安時代特有の身分や立場による呼ばれ方というのも別にあります。なので、どの人物がどのような呼ばれ方をされているのかを把握するだけでも、平安ものを読みなれていない私などは正直苦労したりします。その上、本巻では宮子がついに後宮に上がりますので、お妃候補を巡る権力争いも表面化してきます。そのため、政治的な人間関係の把握にもこれまた苦労させられがちです。
 ところが本書の場合には、お妃候補を巡る政治的な対決が”もの合わせ”という宮中を二分する勝負事に一度収斂されます。そこから再度、こちら側の有力人物は誰々で、相手側の有力人物は誰々という人間関係の整理がなされます。また、政治的には敵対しているといっても、そこから相手方の人間性までをも否定するということはありません。実際、馨子と宣旨のやんごとなき丁々発止のやり取りなど、嫌味はあっても悪意がないので読んでてとても楽しいです。そうしたある種のさばさばした割り切りもあって、”もの合わせ”の場を、政治的な色合いを含みながらも純粋に勝負事として楽しむことができます*1
 そんなお妃候補という立場を巡ってのロマンス(というか権力抗争)がお話のメインになっていて、一見すると謎解き要素が少なめなのは「次の内容は、謎少なめ・ロマンティック多めにします!」という前巻のあとがきでの宣言を実行したものではあるのでしょうが、実のところ、本書はむしろ謎解きとしての方が面白いと私は思っています。
 本書で発生する事件は内裏で続く不審火、つまり放火です。ミステリで起きる事件の一番人気はなんといっても殺人です。その他はどんぐりの背比べのような気もしますが、おそらく窃盗・誘拐あたりが2番手・3番手で、放火はかなりマイナーだと思います。しかし、それだけに開拓する余地が残されている分野であるともいえます。
 一言で放火といってもいろいろです。シンプルに火をつけた対象物を焼却させる目的の放火はもちろんですが、証拠隠滅などの隠蔽が目的の放火もあります。「火のないところに煙は立たぬ」ということわざもに象徴されるように因果関係が反転した放火、手段と目的が転倒とした放火というのもあります。また、連続放火の場合には、放火する場所によってメッセージ性が付与されることがあります。そんな放火の持つ様々な側面が、本書ではさり気ないものでありながら実に巧みに表現されています。
 そうした内裏での連続放火の真相が、”もの合わせ”の勝負にも絡んでくるという計算されたストーリー展開も、宮中で繰り広げられている二重三重の謀略を扇情的な表現に堕すことを避けるという意味で非常に効果的に機能しています。そして何よりも、これまで描かれることのなかった探偵役(とワトソン役)と犯人役との対峙が本書では正面から描かれている点を、個人的には何よりも高く評価したいです。真実があるからこその嘘である一方で、嘘があるからこその真実でもあります。そもそも、シリーズ名からして本作は嘘をつくことに始めから肯定的なわけですが、その意味が本書ではよりハッキリと示されます。物事を客観的に見て分析するだけでなく、それに歩み寄り自らの手で解決しようとする決意。平安時代の宮中を生きる若者の成長を描くための踏み台として典型的なミステリのフレームが踏み台にされているという言い方もできますが、でもそれはとても真摯なものです。
 本書の結末ではシリーズの根幹に関わる事件の発生が予感させられていますので、結末を迎えるのもそう遠くはないのかもしれませんが、続きがとても楽しみになる一冊でした。
 ちなみに、平安時代が舞台となっているお話などとんと読みなれていない私ではありますが、奇遇にも森谷明子『七姫幻想』を最近読んだばかりのおかげで作中の雰囲気、特に斎宮に求められる神秘性を補完することができました。この場でコソッとオススメしておきます。
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*1:もっとも、巻末の作者あとがきにもあるとおり、時代考証的にはいろは歌や香合わせがこの時代に成立しているのはおかしいのかもしれませんが、そんなのどうでもいいじゃないですか(笑)。付言すれば、本書の放火犯の動機については有名な先例があるのですが、それが自然に溶け込んでいる点も高く評価したいです。