『うみねこのなく頃に』好きにオススメのミステリ小説

(注:今回の記事は半分私信です。)
 さて、友人にしつこく勧められて『うみねこのなく頃に』(公式サイト)というサウンドノベル*1をプレイしてみたのですが、なるほど。なかなか面白いですね。
 ちゃんとした考察とかは後日改めて行ないますので、とりあえずの返礼として『うみねこのなく頃に』好きにオススメしたいミステリ小説を4冊ほど紹介させていただきます。可能であれば次に会うときまでに読んでおいて下さいな。
プリズム (創元推理文庫)

プリズム (創元推理文庫)

 ミステリー的な現象には、無限の可能性があっていいはずという視点に立ったミステリというのは、実は結構あります。その嚆矢とされているのが『毒入りチョコレート事件』(A・バークリー/創元推理文庫)です。有名古典ですのでミステリヲタとしては必読書といいたいところですが、同じテーマで今読むのなら、やはり今風に洗練されている方が読みやすいでしょう。ということで、今回は貫井徳郎『プリズム』をオススメしておきます。七色の輝きに見とれて愛でるも良し。あるいは、玉虫色の輝きを唾棄して投げ捨てるも良し。
世界の終わり、あるいは始まり (角川文庫)

世界の終わり、あるいは始まり (角川文庫)

 『うみねこ』は多層世界型の物語、つまりは繰り返しの物語ですが(それゆえにEpisodeが積み重ねられていきます)、そうしたミステリの典型(?)としてオススメしたいのが歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』です。「シナリオ分岐型ノベルゲームのマルチエンディング方式を、力技で一本の長編に仕立てたような実験作」法月綸太郎が評しただけのことはある怪作です。
どんどん橋、落ちた (講談社文庫)

どんどん橋、落ちた (講談社文庫)

 Episode2以降になってから出現する赤き真実
 こうした問題を考える上で非常に示唆的な作品が綾辻行人の短編集『どんどん橋、落ちた』です。この中に『伊園家の崩壊』という作品が収録されているのですが、この作品では、メタ視点からフェアプレイを成立させるためのテクストのルール・制約というものが検討されています。

「そう。三人称の記述というのは原理的に、すべての真実をあらかじめ知っているはずである、いわゆる”神の視点”が上位に控えていて、記述内容の客観性・正当性を保障しているわけです。だから、三人称記述においては、会話文以外の地の文ででたらめを書くことは許されない。事実に反することを事実であるかのように明記しておいて、『手掛かりは出揃った』と云うのはアンフェアだろう、と」
(『どんどん橋、落ちた』p307より)

「判定がむずかしいのは、これが一人称の記述になった場合です。『私』とか『僕』による一人称で事件が語られている場合、理論上そこからは”神の視点”が排除されることになります。
(中略)
 そこで、一人称の記述に何らかのルールを設けるとしたなら、『故意に虚偽の記述をしてはならない』ということになるでしょうか」
(『どんどん橋、落ちた』p308より)

「提示された『問題篇』のテクストを材料に論理を組み立てていって、唯一無二の解答を導き出す。これは、云うほど簡単なことではありません。例えば、地の文で故意に虚偽の記述がなされていないとしても、会話文の中ではそうだとは限らない。(中略)そうなると、どれが真の証言でどれが偽の証言であるかを見分けることなど、読者にとってはまず不可能な話でしょう。(中略)
 だからそこで、さらなる縛りを外側からかけてやる必要が出てくるわけです」
(『どんどん橋、落ちた』p309〜310より)

 ちなみに、本作で述べられているようなフェアプレイについての考え方は、おそらく通説的な見解と思われます。そういう意味でも押さえておいて損はないでしょう。また、本書全体としても、非常に難易度(誤解を恐れずにいえば屁理屈度)が高くゲーム性の強い犯人当て作品集となっていますので、『うみねこ』好きの方であれば楽しめること請け合いです。

火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1)

火刑法廷 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1)

 最後にオススメするはこの一冊。理由の説明は拒否します。不可能犯罪とオカルト趣味を題材とした作品を多数発表しているカーですが、本書はその中でも奇跡の一品とでもいうべき傑作です。時間がなければせめて本書だけでも読んでおかれることを強く希望します。
 ではでは。

*1:現時点でEpisode3まで頒布。