『うみねこのなく頃に』好きにオススメのミステリ小説
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さて、友人にしつこく勧められて『うみねこのなく頃に』(公式サイト)というサウンドノベル*1をプレイしてみたのですが、なるほど。なかなか面白いですね。
ちゃんとした考察とかは後日改めて行ないますので、とりあえずの返礼として『うみねこのなく頃に』好きにオススメしたいミステリ小説を4冊ほど紹介させていただきます。可能であれば次に会うときまでに読んでおいて下さいな。
- 作者: 貫井徳郎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2003/01/24
- メディア: 文庫
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- 作者: 歌野晶午
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 文庫
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- 作者: 綾辻行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/10/04
- メディア: 文庫
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こうした問題を考える上で非常に示唆的な作品が綾辻行人の短編集『どんどん橋、落ちた』です。この中に『伊園家の崩壊』という作品が収録されているのですが、この作品では、メタ視点からフェアプレイを成立させるためのテクストのルール・制約というものが検討されています。
「そう。三人称の記述というのは原理的に、すべての真実をあらかじめ知っているはずである、いわゆる”神の視点”が上位に控えていて、記述内容の客観性・正当性を保障しているわけです。だから、三人称記述においては、会話文以外の地の文ででたらめを書くことは許されない。事実に反することを事実であるかのように明記しておいて、『手掛かりは出揃った』と云うのはアンフェアだろう、と」
(『どんどん橋、落ちた』p307より)
「判定がむずかしいのは、これが一人称の記述になった場合です。『私』とか『僕』による一人称で事件が語られている場合、理論上そこからは”神の視点”が排除されることになります。
(中略)
そこで、一人称の記述に何らかのルールを設けるとしたなら、『故意に虚偽の記述をしてはならない』ということになるでしょうか」
(『どんどん橋、落ちた』p308より)
「提示された『問題篇』のテクストを材料に論理を組み立てていって、唯一無二の解答を導き出す。これは、云うほど簡単なことではありません。例えば、地の文で故意に虚偽の記述がなされていないとしても、会話文の中ではそうだとは限らない。(中略)そうなると、どれが真の証言でどれが偽の証言であるかを見分けることなど、読者にとってはまず不可能な話でしょう。(中略)
だからそこで、さらなる縛りを外側からかけてやる必要が出てくるわけです」
(『どんどん橋、落ちた』p309〜310より)
ちなみに、本作で述べられているようなフェアプレイについての考え方は、おそらく通説的な見解と思われます。そういう意味でも押さえておいて損はないでしょう。また、本書全体としても、非常に難易度(誤解を恐れずにいえば屁理屈度)が高くゲーム性の強い犯人当て作品集となっていますので、『うみねこ』好きの方であれば楽しめること請け合いです。
- 作者: ジョン・ディクスン・カー,小倉多加志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976/05/01
- メディア: 文庫
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ではでは。
*1:現時点でEpisode3まで頒布。