『3月のライオン 2巻』将棋講座

3月のライオン 2 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 2 (ヤングアニマルコミックス)

 『3月のライオン』単行本2巻がようやく発売されましたので、ヘボアマ将棋ファンなりにゆるく適当に解説してみます。ご意見等ございましたらお気軽にどうぞ。ばしばし修正しますので。

Chapter.14 MHK杯戦


 p68より。この馬切りについて、二海堂は「これじゃ「切り」に行ったのか「切られ」に行ったのか? 分からんだろう」と酷評してますし、指した桐山自身も敗着と認めています。成る程。確かに勝算のない暴挙だったかもしれません。しかし、この手を指す前、馬はいったいどこにいたのでしょうか? それが分からないと客観的な指し手の評価ができません。
 実はこの盤面には基となっている将棋があります。1971年に行なわれた名人戦第6局(升田幸三大山康晴)がそれです。その将棋を基にしますと、馬を切る前の盤面はこのようなものであったと推測されます。

 △6二香。いわゆる”田楽刺し”です。馬取りですが、単に馬が逃げると金が取られてしまいます。つまり、馬と金の両方を助けるのは難しくて、こうなってしまったら馬を切るのもやむを得ないでしょう。つまり、「男気に溢れた手」などと評価したり「敗着」と呼んだりするのはおかしいということになりますし、勝敗を決めたポイントはこれより前にあったものと考えられます。
 このように、基となった棋譜の存在を前提にすると漫画の中の将棋の説明と矛盾が生じてしまいます。なので、自分で紹介しておきながら言うのもなんですが、見なかったことにするのが吉というものでしょうね(笑)。
【参考】義七郎武藏國日記 : 名もなき烈情

Chapter.18 桐山対松永戦

 桐山の四間飛車対松永の居飛車です。序盤、松永の居飛車穴熊を警戒した桐山は、居玉のまま▲1五歩と端歩を伸ばしていきます。藤井システムと呼ばれる戦法です*1。それに対して松永は△7四歩。この手は後手から見て右辺の銀桂の活用を目指す攻めの一手です。急戦で来られると居玉のままだと危険なので▲4八玉と居玉を解消。それを見てから松永は△1二香と穴熊に入る準備をします。急戦なのか穴熊なのか分からない松永の指し手に桐山は戸惑うような独白をしていますが、居飛車側の藤井システム対策として穴熊と急戦の両方を見せて牽制する指し方自体は珍しいものではありません。さらにいえば、そうした藤井システム対策対策もシステム化されています。すなわち、急戦を匂わせた△7四歩を咎めて目標にする指し方です。具体的には、飛車を四間から三間に振り直して▲7五歩(p131)。

 相手の穴熊が完成する前に戦いを仕掛けます。対する松永の応手が注目されるところですが、△同歩▲6五歩△7七角成▲同飛に、なんと△3二銀と美濃囲い(?)にします。いや、確かにこの一手で4一の金が離れ駒ではなくなりましたし、△2二銀〜△3一金と二手かけるよりは手数を節約する意味もあるにはありますが、それにしても……。松永の迷走はさらに続きます。以下、▲7五飛△7三歩*2▲7七桂に、△2二玉(p132)。

 せっかくの穴から熊さんが出てきてしまいました(笑)。そりゃあ、美濃囲いの場合の王様の定位置は2二ですけれど、せっかく潜ったのにこれでは桐山ならずとも不審に思わずにはいられないでしょう。
 以下、指し手が進んで△9九龍としたところで松永がしゃみせんを引きます(p133)。

 手番は先手の局面ですが、ここで盤上にある駒と持ち駒を数えてみて欲しいのです。実は駒が一枚足りません(笑)。盤上を見ると互いに9筋の香車を取り合ったように見えるので、おそらく松永の持ち駒に香車が一枚あるべきではないかと思うのですが、断言はできません。それはさておき、この局面。▲7七角に△5五角と合わされたとしても▲同角と取ってしまい、以下△同歩に▲5三と金△同金▲2三香成△同銀▲同銀△同玉▲4一龍と攻めていけばあっという間に後手玉を追い込むことができるので、やはり先手優勢と言って良いと思います。
【参考】義七郎武藏國日記 : タカギ様がみてる
 この将棋は、「穴熊に入った玉がなぜかすぐに出てくる」という作者の無茶な要求に対して、将棋監修の先崎八段が捻り出したものですが、もともとが無茶なものでありながらもそれなりにしっかりしたものになっているのは流石です。
 そもそも、何故そのような無茶な要求が出されたのかといえば、局後に明らかになる松永の心理状態を将棋でも表したかったものと推察されます。「どうやってカッコ良く負けるか」という思いが穴熊に潜らせ、「負けたくない」という狂おしい思いが穴から出させてしまったのだと。棋理よりも心情が優先してしまっている様子を笑うのは簡単ですが、意味を知ってしまうと苦々しいものがありますね。

Chapter.21 安井対桐山戦

 相矢倉(先手森下システム)のじっくりした序盤戦から、中央で駒のぶつかり合いが始まり、先手が一筋に雀刺し攻撃形を作り上げたところで安井が指した△8四角(p175)。

 この手の直接的な狙いは3九への成り込みで、それを先手が防ごうとするなら▲3八飛と戻すしかありません。つまり、角の成り込みを見せることで先手の飛車を移動させて端からの攻めを無効化しようというのが後手の狙いです。もっとも、作中でもミス*3とされているように、先手はそう指してはくれません。後手の角が7三から動いたことによって6四の銀を支える駒が6二にいる飛車だけになってしまいましたし、先手の角が9一に成り込む狙いもあるので、後手は飛車と銀を下手に動かすことができなくなってしまったのです。そのため、先手の▲5四歩〜▲5三歩成の狙いが厳しいものになっています。それと併せて端からの攻めも絡めていけば自然と優位を築くことができます。もっとも、後手が上手く迎撃できれば「誘いの隙」と評価することもできるわけで、ミスかどうかの判断は微妙なように思います。
 以下、手数は進んでp176。

 ▲2七香と打ったと思われる局面。ここで安井は投了します。確かに、これだけ徹底的に陣形を乱されてしまっては後手の劣勢は否めません。ただ、桐山が懸念しているような玉頭にあやをつけて△9五桂を狙ったり馬を引き付けたりする指し方は実際に指されたら嫌なものです。将棋というのは最後の最後まで分からない逆転のゲームですが、特に相矢倉戦ではそうした傾向が強いです。一方的なように見えても思わぬところに落とし穴があって、気が付いたら接戦になっているということが多々あります。
 試しにこの局面をソフト様に形勢判断させてみたところ、駒得してるのは後手ということもありまして、先手優勢ではありますが勝勢といえるまでの評価値の差はつきませんでした。なので、プロ的にはどうか分かりませんが、やはりもう少し指してもよかったのではと私も思います。
 ちなみに、この将棋には基となった棋譜があります。1993年棋聖戦第3局(羽生善治谷川浩司)がそれです。興味のある方はぜひ。
【参考】義七郎武藏國日記 : 奔れ正直者?!
 孫引きで恐縮ですが、△8四角の前に△4五歩▲3七角の交換を入れる指し方が代案として挙げられています。確かに、先手の角を3七に追いやることができれば端攻めを緩和することができますから、そう考えるとやはり本譜の△8四角はミスと呼ぶべきなのでしょうね。
 また、将棋の内容とは直接関係のないことですが、

棋士の離婚率の高さと、離婚に至る期間の短さは一般社会に比して尋常でなく、峻厳な勝負師と穏和な家庭人との切り替えの困難を思わされた。
義七郎武藏國日記 : 笑顔の果てにより

 具体的な数字などは分かりませんが、将棋指しが家庭を持つのはそれなりに大変なようですね……。



 以上、作中の将棋について思ったことをつらつらと語ってきましたが、元棋譜や技術的な観点に着目すると何だか粗探しみたいな作業になってしまって、それだと私としても不本意極まりないです。なので、言い訳めいた説明を少々補足させていただきます。
 以前、『3月のライオン』と4つの視点という記事でも触れましたが、将棋ひとつを取って見てもそこには様々な視点から見た姿と価値観があります。客観視点から見たときの風景が必ずしも真実であるとは限りませんし、そうである必要性もありません。
 視点の違いによって風景が異なる例として、作中だと以下のコマの描写がとても印象深いです。


 上はp128の5コマ目。下は147の3コマ目。どちらも対局前の桐山が座っている姿を描いたものです。コマだけを切り出すと同じように見えますし、実際に場面的にはほぼ同一のものではあるのですが*4、読んでる時に両者のコマから受ける印象はかなり異なります。特に下のコマから受ける印象は鮮烈なものではないでしょうか。
 上のコマは、それまでのコミカルなモノローグの流れの一環として、桐山の内面が表情に表出した描写*5であるのに対し、下のコマは松永の主観視点からの、天才棋士にして「若き死神」である桐山零の姿が描かれています。こうした二つのビジョンのどちらが真実なのでしょう? 桐山が自身のことをどう思っているかとは関係なく、中学生でプロになったという事実は、将来の名人たることを、百獣の王として将棋界に君臨することを想定しています。首を刈る者と刈られる者。奇妙に思われるかもしれませんが、将棋界の常識だと、松永のプライヴェート視点から見た桐山の姿こそがむしろ真実なのです。
 そんなわけで将棋の盤面についても、作中の世界観を通して見える姿こそが大事なのであって、技術的客観的な姿は二の次三の次だということが言いたいのですが、フォローになってるでしょうか?(笑)
 ちなみに、作中の「若き死神」という表現は決して突飛なものではありません。羽生善治といえば将棋界のスーパースターですが、彼がA級順位戦に在籍している時*6のA級順位戦最終局で某巨大掲示板などで囁かれる異名が「A級の死刑執行人」、「死神」です。ただでさえ強いのですが、他人の首を叩き落すときにも容赦がないからです*7。専門誌などでこうした異名が用いられているのを見た記憶はありませんが、順位戦最終局での羽生の強さを考えると、実際にそう呼ばれていたとしても何ら不思議ではありません。そのあまりの強さゆえに、リーグ表が発表された時に最終局の相手が羽生になっているというだけで、その棋士の名前が降級候補として将棋ファンから挙げられるくらいです(もちろんブラックジョークですよ)。
 こうした表向きには書かれることのない棋士の一面が表現されているのも漫画ならではの面白さだといえるでしょうね。
【関連】当ブログ解説記事 1巻 3巻 4巻 5巻 6巻

*1:ただし、通常の藤井システムと比較すると4六歩や3六歩を突かないで平たい陣形のまま端歩を伸ばしているのが珍しいです。

*2:盤面は見えませんが、飛車の進入を防がなくてはいけませんからこの一手でしょう。…と思いましたが、ここでは△6二銀があります。詳細はコメント欄にて。

*3:と呼ぶには私には厳しいように思うのですが。

*4:同時性を追及するならむしろp127の5コマ目と比較すべきかも? でもそれだとあまりに違いすぎるので(笑)。

*5:「客観視点」? それとも「神の視点」?

*6:今期は名人位保持者なので順位戦には参加してませんが。

*7:もっとも、羽生の場合には最終局に名人戦挑戦権がかかってくることが多いのも見逃せませんが。