ハチワン=081=オッパイと読んでしまう人のための『ハチワンダイバー 9巻』将棋講座

ハチワンダイバー 9 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 9 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 9』(柴田ヨクサルヤングジャンプ・コミックス)をヘボアマ将棋ファンなりに緩く適当に解説したいと思います。
 ……と言いたいところですが、今回は主人公のハチワンが将棋を指してるシーンがないので将棋の解説は少なめです(笑)。なので、今回は盤面や棋譜以外についてもつらつらと語ってみたいと思います。
(以下、長々と。)

棒銀*1


 飛車の筋を真っ直ぐ棒状に銀が進出していく様子が名前の由来です。飛車と銀の連携によって飛車先を突破することを狙いとしたこの戦法は、単純ながらも威力抜群。初心者からプロまで、一生付き合っていくことのできる戦法です。
 ひと言で棒銀といっても様々な種類がありますが、まずは原始棒銀が基本中の基本です。これだけ知っていれば初心者同士の対局なら百戦百勝です。それだけ有効な戦法であるだけに、受け方もしっかりと覚えておかなくてはいけません。将棋の勉強というのはこういったことから始まるのだと思います。
 棒銀に代表される飛車先突破への対応策を大別すると、(1)金銀が上がってしっかりと角頭を守るか、(2)角が上がって軽く受ける、の2通りがあります。とりあえず本書で菅田が進めているように金を上がる指し方は(1)に該当しますが、こちらの指し方は、いずれは金銀のある側=安全地帯ということで、玉も金銀の側に移動させやすくなります。一方、(2)の角が上がる受け方(あるいはノーガード気味な受け方)はそのままだといずれは突破されてしまいますので、玉はそちらとは反対方向に移動させたくなります。そうなると飛車を移動させて玉の安全地帯を確保して、そのついでにその飛車に相手からの攻撃へ対処させるということになります。つまり、飛車先突破という手段に対してどちらの対応を選ぶかによって、居飛車振り飛車かの作戦選択が決まってくるという側面があるのです。
 ちょっと専門的なので何を言ってるのか分からない方もおられるかもしれませんが、居飛車振り飛車の区別・考え方は次巻以降でとても重要になってきますので、少しでよいので考えてもらえれば幸いです(ぺこり)。
(【関連】ハチワンを読んで将棋を指そうと思った人に送る将棋入門 - 三軒茶屋 別館

多面指し・地多対氷村戦

 まったく盤面の解説をしないのも座りが悪いので、ちょっとだけ盤面の模様が描かれている地多対氷村戦を。

 137ページの局面です。多面指しの指導対局で先手番をもらった氷村は角道を通したままの中飛車、いわゆるゴキゲン中飛車に構えました。ゴキゲン中飛車は基本的には後手番用の戦法ですが、端歩を先に突くなど手順を工夫すれば先手でも指すことができます。この図面は角が天王山の5五に進出してきたところです。狙いは8二の飛車取りですが、これが存外に受けにくいです。△7三銀や△7三桂などとしてしまいますと、▲5三歩成*2から中央突破されてあっという間に先手必勝になってしまいます。かといって、飛車が縦に逃げると▲9一角成と香車を取られてしまいます。おそらく△9二飛くらいしかないと思われますが、飛車が僻地に移動してくれるなら先手満足。以下▲5三歩成△同銀▲5四歩△6二銀(△同銀は▲9一角成△同飛▲5四飛)に▲8八角や▲7七角くらいで先手が指しやすいでしょう*3。地多の足が止まるのも納得です。

 138ページの投了図。▲5四飛(打かも?)までで後手玉は詰んでいます。以下一例を挙げると、△同玉▲5二飛成△4四玉▲5三龍△3五玉▲3六銀△2四玉▲2五銀打まで。他面指しの指導対局とはいえ、平手でプロに勝てるアマチュアな滅多にいるものではありませんから、氷村がかなりの指し手であるのは確かです。ただ、菅田も言ってるように、この条件でプロが100%の力を発揮できるはずもないので割り引いて考えなければいけませんけどね。

菅田とそよの将棋観の違い

 2分切れ負け将棋の是非について、そよはこれも将棋だとする一方で菅田はそれを否定しています。これは実は結構根の深い問題だと思います。
 同じ将棋をやっているにもかかわらず、NHKで放映されているような早指しのテレビ将棋と、順位戦やタイトル戦のような持ち時間の長い将棋とでは、まるで別の競技を観ているようだといわれることがあります。早指しの場合には短時間での読みの力や反射神経が求められる一方で、持ち時間の長い将棋の場合にはより高い完成度が求められ、さらには神経戦・心理戦の要素が入り込んでくるからです。そう考えると、2分切れ負けという極端に持ち時間の短い将棋は、プロにしてみればまさに異次元の世界です。ただ、それだけなら将棋であることには変わりはないでしょう。ではなぜ菅田はこれを否定しているのでしょうか。理由は鬼将会の指し方にあります。切れ負けを狙った筋悪の受け。手の善悪を度外視した相手を戸惑わせるだけの手。
 羽生善治が将棋について語っている言葉として、次のようなものがあります。

――ああ、なるほど。ただ、将棋は数学ともとらえられるんですけど、芸術ともとらえられるし、学問ともとらえられるし、また格闘技ともとらえることができるんですよね。だから、それは将棋そのものというより、指す人の切り口のとり方ですか。
『対局する言葉―羽生+ジョイス』(羽生善治・柳瀬尚樹/河出文庫)p52より

 この将棋を肯定するそよは、将棋を格闘技、つまりは勝負という側面のみを重視しているといえます。でも菅田にはそれが許せません。それは、おそらく菅田にとって将棋の芸術的な側面や数学的な側面も大事なものだからです。
 2分切れ負けの中での筋悪な手。そんな手は将棋の真理の解明に何も貢献しません。結果はどうあれ、ほとんどの場合プロは最善の手を追い求めます。そうすることで、将棋という底知れぬものへの理解を少しでも深めることができると信じているからです。もちろん、プロの将棋も勝負であることは間違いないので、ときに善悪を度外視した手が指されますけど、それが話題になるという状況こそが原則としてプロが最善を追い求めていることの証しなのです。
 その一方で、真剣勝負の場だからこそ確かめられる真実というものがあります。互いが信じる最善と最善とがぶつかり合うことによって、より高みへと近づくことができます。真理追究の姿勢と勝負への貪欲さとは同居し得るものなのです。
 将棋の真理を解明するということは、将棋そのものを終わらせるということを意味します。理論的には将棋にも絶対的な答えが存在する以上、いつかはそういう日がくるでしょう。人知を超えた一手のことを、”神の一手”と形容することがあります。将棋の神にとって、将棋は答えの出ているゲームです。その神によって指される手は、その手を指した棋士も含めたすべての棋士の存在価値を奪い去ります。”棋士殺しの一手”だからこそ”神の一手”なのです。
 2巻での「あなたは”将棋”というものを何%理解していると思いますか」といった文字山とのやり取りや、あるいは6巻の「『次の一手』の問題集を解き続けるような将棋」「神サマって何者だ?」といった澄野とのやり取りも、つまりはこうした将棋観を背景とした会話であり衝突なのです。
 将棋観的に、そよは鬼将会の土俵で鬼将会を潰そうとしていることになるわけですが、菅田がどういう態度を取るのかは今のところ分かりません。今後の展開に注目です。

対局する言葉―羽生+ジョイス (河出文庫)

対局する言葉―羽生+ジョイス (河出文庫)

ソフト指しについて

 217ページにネット道場に見立てた将棋監修や協力者の紹介ページがありますが、そこに”ソフト指し”という言葉があります。これは、ネット将棋なのにソフトを使って将棋を指すことをいいます。
 現在はボナンザを始めとして強いソフトがフリーでも簡単に手に入る時代です。棋力のない人でも、ソフトを使えば強い相手を負かすことができます。そこに優越感や喜びを感じる人もいる、ということなのでしょう。
 ただ、今は強いソフトと誰だって手軽に対局できるのです。だからこそ、ネット道場にはネットを通じた人と人との対局の場としての機能が求められます。なのでソフト指しはマナー違反ですし、将棋倶楽部24などではルール違反と規定されています。
 もっとも、お互いの顔が見えないネット対局において、相手がソフト指しか否かを確認するのは非常に困難です。「これは明らかにソフトだろ」という手は確かにあるのですが、それを客観的に説明するのは私などには正直無理です(汗)。最近のソフトがより人間らしい手を指すようになってきていることもあって、その取り締まりは大きなテーマです(参考:http://www.shogidojo.com/etc/softorii/index.htm)。人間と機械との考え方の違いを見抜くことができるのか? という問題意識に立てば、チューリング・テスト(チューリング・テスト - Wikipedia)などと同様の問題点を見い出すこともできるでしょう。いずれにしても、ネットが発達して将棋ソフトが強くなったからこそ生まれた新しい問題として、今後の議論の発展が注目されるところです。

 次巻は”独立将棋国家”での菅田の活躍がメインになります。ラーメン博物館みたいな場所ですが(笑)、今回将棋を指さなかった分、次は将棋三昧になることでしょう。読むのは楽しみですが解説のことを考えると凹みます(笑)。これからも微力ながら全力を尽くす所存ですが、疑問点等ございましたら遠慮なくご指摘くださいませ(ぺこり)。
【関連】
・『ハチワンダイバー』単行本の当ブログでの解説 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻 7巻 8巻 10巻 11巻 12巻 13巻 14巻 15巻 16巻 17巻 18巻 19巻 20巻 21巻 22巻 23巻 外伝
柴田ヨクサル・インタビュー
『ハチワン』と『ヒカルの碁』を比較してみる

*1:図面はp99の1コマ目。以下、△同歩▲同銀△2三歩▲同銀△同金▲同飛成まで飛車先突破成功。

*2:△7三銀の場合には、▲5三歩成△同金▲7三角成△同桂▲5三飛成。△7三桂の場合には、▲5三歩成△同金(△同銀は▲7三角成で桂馬がただで取られてしまいます。)▲7三角成△同銀▲5三飛成。

*3:後手は飛車を活用しようにも△8二飛車と戻すと▲5五角に△9二飛となって、これは千日手模様。指導将棋でプロが考える手順ではありません。