『消えた山高帽子―チャールズ・ワーグマンの事件簿』(翔田寛/創元推理文庫)

 明治六年の横浜の街を舞台に、英国人記者のチャールズ・ワーグマン(参考:Wikipedia)が、同じく英国人である医師ウィリスをワトソン役として数々の難事件を解決していく連作短編集です。
 名探偵というのは、常人とは違った視点に立つことで真相にたどり着くという特権的な役割を与えられているわけですが、本書の場合には、日本で起きた事件を英国人の視点で眺めるという文明開化の日本ならではの立ち位置が用意されています。また、文明開化の時代の日本の様子というものが、英国人の視点というフィルタを通して読者に伝えられるので、現代の我々にも非常に優しい設計になっています。まさに設定の勝利だといえるでしょう。
 文明開化とは日本に西洋の文化が一気に流れ込んできた時代ですが、そんな日本と西洋の文化という二つの視点が照射されることによって、その重なりに洋の東西に通じる人の情というものを感得することができます。ミステリとしての仕組みが物語にも奥行きを与えている(むしろこっちが主眼?)のも見逃すわけにはいかないでしょう。

坂の上のゴースト

 日本の幽霊と西洋のゴーストという二つの目撃談。そこから浮かび上がってくるのは文明開化の時代の流れの中で交錯する人の悲しくも優しい情。その時代ならではの重大な変化が事件の動機に関与しているのが時代ミステリとして優れた点です。

ジェントルマン・ハラキリ事件

 吝嗇家として知られる英国人の富豪が何ゆえハラキリなどしなければならないのか? 本当にハラキリなのか? チップの慣習など本来日本にはないものなので、そうした行為が謎解きの鍵を握ってくるのは本書の設定ならではです。オチのジョークには笑いを禁じえませんでした。

消えた山高帽子

 表題作にして本書の白眉。本作には市川升蔵という歌舞伎役者が登場しますが、これが非常にいい味を出しています。ワーグマン視点に立てば名探偵ものですが、市川升蔵視点に立てば一種の名怪盗ものであるともいえるでしょうか。消えた山高帽子の謎はクイーン『ローマ帽子の秘密』を彷彿とさせるものではありますが、それほどロジカルなものではありません。シェイクスピアと歌舞伎とに相通じる人の情。物事を多面的に見ることによって普遍的なものが見えてきて、それが国や家といった立場を超えて人と人とを結び付けていく。謎解きの面白さ自体は小粒ですが、ミステリ的な筋立てが人間心理というものを描くのに深く寄与しています。

神無月のララバイ

 鉄道開通の汽笛と共に甦った一人の女性の悲しい過去。西洋的なものの考えによって一人の女性が救われた、という筋書きではあるのですが、本書の中での出来は正直イマイチです。

ウェンズデーの悪魔

 教会という密室の中で発生した謎の死。物理的な密室のみならず、宗教という社会的な密室という、いわば二重の密室が本作の肝です。真相自体は割りと見抜きやすいものだと思われますが、それを印象的なものにしているのが、日本という舞台です。これまでの作品とは違って西洋文明が観察される側に立っているのという構図の反転が面白いです。ちなみに、ちなみに、なぜウェンズデー(水曜日)なのだろうと気になってググってみたのですが、おそらくは”灰の水曜日”というような裏切りと懺悔の意味が込められているのではないかと思います(参考:Wikipedia)。