トリックと著作権について

21世紀本格宣言 (講談社文庫)

21世紀本格宣言 (講談社文庫)

トリックと著作権

 この問題は、トリックの独自性が明白であれば、その再使用の権限は案出者に独占的に帰属するのが自然ではないか、という議論ですので(逆に言うと時代とともにその独自性が薄れ、当該トリックの発想が一般的になってくれば、流用の不道徳性もまた薄まっていくと考えますが)、理屈を言いますと、作家の死後五十年が経過して案出者の著作権が消滅し、トリックを含むこの作品が公の知的財産となってからなら、右のような無断借用も批判を受ける筋合いはなくなると考えます。しかしその時点でも、周辺と比較して当該トリックの独自性が依然持続しているなら、出典は記しておく方が望ましいと考えるミステリーの愛好家は、かなりの数存在しているでしょう。
(『21世紀本格宣言』(島田荘司講談社文庫)所収「『占星術殺人事件の』トリックの流用に関して」p279より)

 上記引用文は、島田荘司出世作である『占星術殺人事件』のトリックが『金田一少年の事件簿』に流用されていた件(関連:「異人館村殺人事件」と「占星術殺人事件」(島田 荘司))を受けての島田荘司の見解です。作家という立場からの理屈としてはよく分かります。分かりますが、法律的には苦しい主張だと言わざるを得ません。
 著作権法では、著作権の発生する著作物について次のように定義しています。

第二条一項一号 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸。学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

 このように、著作物は「創作的な表現」であることが必要とされまして、単なるアイデアの場合にはそれ自体は表現されたものではないので著作物には当たらないものとされています。判例も、

一般的な考え方とは異なるもので被上告人に特有の認識ないしアイデアであるとしても,その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず,これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止されるいわれはな(い)。
平成 11年 (受) 922号 損害賠償等請求事件より)

というものがあるように、アイデアの著作物性は否定しています。で、問題はトリックはアイデアなのかそれとも表現なのかということになりますが、トリックにとどまる限りはやはりアイデア・着想の範囲を出るものではないと考えるほかないのではないでしょうか。というわけで、上記島田荘司の主張は、心情的には理解できますが、理屈を言えば現行法にはそぐわない主張だといえるでしょう。

解説の役割と必要性

 もっとも、この理屈はあくまで法律論に過ぎません。トリックに著作権が認められなくとも、新しいトリックを用いたミステリを発表することができたら、それはとても名誉なことでしょう。それに、小説は立派な著作物ですしね。
 また、法律的にアイデアの流用に問題がないからといって、そのことが流用行為についての非難を免れることにはつながりません。創作とは独自のものを作り上げることです。他者の創作に敬意を払えない者は創作者として失格です。盗用ではなくとも流用といえるような点があるのなら、作品内でとはいいませんが、本のどこかでその旨を表示しておけば、敬意を表明することにもなりますし、紛争の回避という観点からも望ましいでしょう。
 ミステリでは密室やアリバイといったトリックの種類ごとの類型化が、江戸川乱歩などによって伝統的に行われてきています。なので、いくら頭をひねったところでそれは簡単に体系付けられちゃいます。また、すでにたくさんのトリックが発表されている現状では、新しいトリックを発見するのは至難の業です。なので、実際には既存のトリックのアレンジやパロディといったものが多くなりますが、そうした場合には逆に前例を明らかにすることでその作品ならではの独自性を強調する手法が採られることがままあります。現実問題として前例と無縁のミステリを書くことなど不可能に近いのです。その意味で、あらゆるミステリはメタミステリ((c)有栖川有栖)なのです。
 とはいえ、洋の東西を問わず数多のミステリが書き続けられている現状で、すべてのトリックを知識として網羅している人間などいるはずもありません。ときにはトリックがかぶってしまうことも十分考えられますが、そんなときに発表が少しでも早かった方のみを評価して他方を切り捨てるというのも不毛でしょう。それに、その作品の価値が必ずしもトリックだけにあるとは限りません。とはいえ、作中で使用されているトリックが既存のもののアレンジだからといってその旨を作中で表示しなければならないとしたら、それはそれで表現の制約につながるでしょう。
 ということで、作中で使用されているトリックにはどれだけの独自性があるのか。類例としてどのようなものがあるのか。たとえトリックが凡庸でも他に読みどころがあればいいじゃないか。といった他の作品との関係性について説明する役割が、小説の巻末に付いてる解説にはあると思います。
 ミステリの場合、単行本には解説が付いてたり付いてなかったりしますが文庫版になったら解説が付いてるのがほとんどです。単行本刊行直後にはジャンル的評価は当然のことながら不明ですが、時が経つにつれて評価も徐々に固まってきます。その評価が参考となり、後に文庫落ちしたときに解説として付くことで、その作品の独自性と他の作品との関係性を説明する場になって、それがまた次なる創作の発表へとつながっていく、ということなのだと思います。
 もっとも、最近は未読者を前提とした解説も多いみたいなので、こうした機能が本当にあるのかどうか自分でも怪しい気がしないでもないですけどね(汗)。