『頭脳勝負―将棋の世界』(渡辺明/ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

 プロの将棋はファンに観てもらってはじめて価値を持ちます。その点は他のプロスポーツ・競技と全く同じです。
 しかし、一般的なイメージとして、将棋は楽しむのも何か難しそうに思われているのではないでしょうか。でも、そんなことはありません。将棋を指すのは弱くとも、「観て楽しむ」ことは十分できます。
 例えばプロ野球を見る時。「今のは振っちゃダメなんだよー」とか「それくらい捕れよ!」。サッカーを見る時。「そこじゃないよ! 今、右サイドが空いていたじゃんか!」「それくらいしっかり決めろよ!」自分ではできないのはわかっていてもこのようなことを言いながら見ますよね。それと同じことを将棋でもやってもらいたいのです。
「それくらい捕れよ!」と言いはしますが、実際に自分がやれと言われたら絶対にできません。「しっかり決めろよ!」も同じで自分では決められません。将棋もそんなふうに無責任に楽しんでほしい。
(本書p98より)

 本書は、将棋というゲームの面白さを少しでも多くの方に知ってもらうために書かれいています。その面白さとは、「指す」と「観る」です。従来の棋書は一般に「指す」面白さを追求してきたと思います。ところが、最近は片上大輔五段のプロの思考を言語化したいという試みや、あるいは勝又清和六段の『最新戦法の話』のような鑑賞の手引き書を目指して書かれた本が発表されたりと、「指す」だけでなく「観る」楽しさを知ってもらうために書かれた本が出版されるようになってきています。
 その原因のひとつには、やはりインターネットの発達と呼応する形で将棋界が行なってきた将棋のネット中継の充実があるでしょう。せっかく中継しているのですから一人でも多くの方に観てもらいたいですし、そのためには観戦する際の見どころが分かっていた方が、観る側としても甲斐があるというものです。そういうわけで、本書は「指す」面白さはもちろんのこと「観る」面白さについても説明されています。私のようなヘボアマがこんなこと言ってもあまり説得力がないかもしれませんが、それでも、本書で説明されているような勘所は「うんうん」と頷けるものばかりです。
 本書は四章構成になっています。
 〈第一章 頭脳だけでは勝てない〉では、現場での思考以外での将棋における勝負の要素が語られています。すなわち、メリハリといった心の張りのリズム、気合いと冷静といった感情、封じ手の際の駆け引き、直感と調子の良し悪し、普段のトレーニング方法、といった具合です。タイトルの通り将棋は「頭脳勝負」ではあるのですが、勝負事である以上、それ以外の要素もとても大事です。そうした要素もすべて含めて「将棋」なのです。
 〈第二章 プロとは何か〉では、現在の将棋棋士の存在・プロ制度というものが、渡辺竜王自身や実体験との比較も交えつつかなり率直に語られます。渡辺明は若くして竜王というトップの地位に立ちましたから、若手の中で一番様々な経験を積んでいる棋士です。本章ではプロ制度についてなどの一般的な知識についてはもちろんのこと、渡辺竜王でなければ語れない、例えば対コンピュータ戦(この辺りの事情は『ボナンザVS勝負脳』により詳しく書かれています)といった現代のプロ棋士が相対しなければならない問題についても簡明に書かれています。

 順位戦制度そのものをいじるのは難しくても、ラスト三戦はスイス式(同じ成績同士が対戦する)にするとか、最新数年の実績からA、B、CとわけてA三人、B三人、C四人と均等に対戦するようにする、などちょっとした工夫は考えられます。
(本書p66より)

 といった順位戦についての提言は、観ている側としても頷けるものです(ホントは現在の順位戦偏重のシステムそのものも何とかすべきだと思いますが、代案を出すのが難しいのが現状です)。
 〈第三章 将棋というゲーム〉では、序盤、中盤、終盤という三つの段階に分けての指し方・考え方が述べられています。序盤では作戦を練ります。攻撃態勢と守備の陣形を、相手の出方を見つつバランスよく指していきます。戦いが始まればいよいよ中盤戦です。そこでは、駒得や駒の効率といった実利を得ることを指針としながら指し進めていきます。そうしたいよいよ玉将が見えてきたら終盤です。ここでは何よりも速度重視で、とにかく相手の玉を少しでも早く捕まえることが何よりも優先されます。将棋は玉将を取れば勝ちで取られたら負けです。仮に中盤戦でどれだけの有利を築いていようとも、終盤で抜かれてしまっては何の意味もありません。また、将棋というのはそうした終盤での逆転劇が起きやすいゲームでもあります。だからこそ、指してる側は最後まで必死になって読まなければなりませんし、観ている側としても最後の最後まで目を離すことができないのです。
 また、こうした将棋を指す上で、プロ棋士がどのような研究をしているのかという点についても説明されます。研究の方法は、一人で行なうか、それとも複数による研究会の形式で行なうかのふたつに分かれます。一人の研究は単眼視点なので正確な判断がしにくいですが情報は独り占めできます。対して、研究会であればより正確な情報を手に入れることができますが、その情報は共有されるため実戦において必ずしも活用できるとは限りません。将棋において研究と勝負は実に微妙な関係にあるのです。
 〈第四章 激闘!〉では、渡辺竜王自身の対局の経験をもとに、実戦での心理状態が語られます。竜王戦第三局での終盤での劇的な詰み筋について語られている箇所は、実に臨場感があります。対して、棋聖戦第三局での序盤での誤算についての時間の使い方についての悔恨はじわじわとこちらにも伝わってきます。いずれも、渡辺竜王だからこそ語り得る体験談です。棋譜だけでは知ることのできない実戦での駆け引きや心のぶれを読み取るのも、将棋の対局を観戦する際の妙味のひとつです。
 さらに巻末には、簡単なルール説明やプロの将棋の見方(ネット中継等の紹介)や将棋の指し方(インターネット将棋道場「将棋倶楽部24」等の紹介)、詰将棋についても触れられています。とにかく、少しでも多くの方の将棋に接してもらおうという配慮が存分に感じられる一冊です。本書が一冊あれば、初心者の方が将棋を観戦する場合にも格段に楽しめるようになることでしょうし、『ハチワンダイバー』のような将棋漫画もより深く楽しめるようになること請け合いです。オススメです。
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