『図書館革命』法律面についてのフォロー

図書館革命

図書館革命

フジモリのプチ書評 『図書館革命』
↑ということですので、一法律好きとしての視点から『図書館革命』について語ってみたいと思います(笑)。
 本書のケースでは、『原発危機』という本はテロリストにとっての教科書となり得る危険なものであり、そうしたテロの被害から国家と国民を守る必要がある、との理由でその本の作者である当麻蔵人のがメディア良化委員会によって逮捕(身柄の確保くらいの表現の方が妥当かも)されそうになります。この企みは図書隊と一部メディアの先手を取った行動(『図書館の自由法』の拡大解釈)によって阻止されますが、いつまでも匿っているわけにもいかないので、図書隊としては何らかの法的な対抗手段を講じる必要があります。本書では、

憲法第二十一条第一項……要するにこの場合は表現の自由だな、これを侵害されているとして民事で行政訴訟を起こすくらいしか手がないか。メディア良化法も憲法に定める国民権利に抵触するようなことはできないはずだからな」
(本書p43より)

ということで、表現の自由を根拠にした行政訴訟を起こすことになります。この辺も厳密に言えば突っ込みどころではあるのですが、メディア良化法の具体的内容が明らかではないのでひとまず置いときます。一応フォローしといた方がいいかなぁと思ったのが、本件の場合に問題となるのは何も「表現の自由」に限らない、という点です(もっとも、メディア良化法の条文が具体的に明らかにされているわけではないので、やはりかなりの部分を推測に頼っていることは予めお断りしておきます)。
 まず、『原発危機』はそれまでは何ら違法なところのない本として普通に出版されてきました。それが、いくらその本の内容に類似した事件が発生したからといって、そのことを根拠に作者を逮捕するようなことを仮に官憲が行なったとしたら、それは憲法第三十一条の「法定手続の保障」や憲法第三十九条の「事後法の禁止」に抵触することになるでしょう。
 また、どのような法律によってメディア良化委員会が当麻蔵人の逮捕に動いたのかがよく分からないので断言はできないのですが、当麻蔵人のみを狙い撃ちするかのような形で今回の事態に至ったのであれば、憲法第十四条の「法の下の平等」に抵触するものとしてその根拠となる法律・政令の無効を主張することも考えられます。
 以上のように、「表現の自由を侵害されているとして行政訴訟を起こすしか手がない」というのは誤解を招くおそれがなきにしもあらずなので、この場でこそっと指摘しておきます。もっとも、このことが本書を評価するに当たって何らかの欠点とされるべきかとなると、それは断じて違うと思います。本書はタイトルの通り図書館が舞台になってるわけですから、法的問題としても「表現の自由」が最重要課題として論じられるべきです。法的リアリティを追求して本題が薄味になってしまっては何の意味もありません。それに、作中で柴崎も指摘している通り、本来、剣対ペンの戦いでなければならないところ、いつの間にか剣対剣の戦いになってしまっているのです。こうした状況は図書隊からすれば不本意な盤上での戦いだということは否めません。そうした戦いになってしまっているからこそ、もういちどペンの意義というものを再浮上させなければなりません。そうである以上、争点を「表現の自由」の一本に絞っての戦いというのは、法廷戦術としては下策でしょうが物語的には上策なのです。ですから、この点をもって本書を批判するつもりは私にはさらさらありません。ただ、本書を離れたら「表現の自由」の他にも憲法には条文があるんだよー、ということをちょっと伝えたかっただけです(笑)。
 また、本書では「検閲」という概念が大きなポイントとなります。そこで、憲法第二十一条を確認しておきましょう。

憲法第二十一条 ① 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 このように、憲法の条文で検閲はハッキリ禁止されています。では検閲とは一体何なのか。判例は次のように定義しています。すなわち、

行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す
最判昭和59年12月12日)

とした上で、検閲は絶対的に禁止(=例外はない)されるべきものとしています。何を言ってるか分からないという方もおられるでしょうが(無理もありません)、とりあえずのポイントは「行政権」という主体の問題です。行政権というのはつまり政府のことですから、司法権の府である裁判所は含まれません。ですから、政府による事前の表現物の発表の抑制というのは行なわれていませんが、裁判所によるプライバシーの侵害などを理由とした事前差し止めというのはたまに行なわれることがあります(参考:http://medialx.sblo.jp/article/274473.html)。
 また、政府が表現物の内容を審査するものとして教科書検定の問題があります。これについては政府が恣意的な思想統制を行なうものだとして反対する向きもありますが、あくまでも教科書としての採用不採用を決定するのみであり市場での出版・発行について何らの制限を加えるものではないため検閲には当たらないとされています。
 ですから、まあ個々の問題はいろいろとありますが、総論として、

「検閲についてはどう思われます?」
「根絶されるべき行為だね」
「この世に『正しい』検閲なんて存在しない。検閲には必ず為政者の意思が反映される。たとえどんな悪書であろうと、それを実際に見て判断する権利を国民は持っている。もちろん、それで不利益を被る国民がいる場合はその表現物の扱いに慎重になるべきだが、その救済の判断は司法に委ねられるべき問題だ」
(p72〜73より)

という理念で今の日本は動いていると一応は評価してよいでしょう(だからこそ、不断の努力が必要だということでもありますが)。その一方で、こうした理念が通用しない国もあります。そうした国で生きていかなければならないことを想像すると寒気がします。
 あと、本書独自の設定として用意されている裁判の専門審理システムというのは面白いですね。もっとも、現実に導入するとなると問題山積でしょうが(誰だって自分の事件を優先して扱って欲しいから)、特に本書の事件のように途中から期間が問題になりだすと、判決が出るのに時間がかかるとそらだけで裁判そのものが無意味なものになりかねませんからね(逆に言えば、現実の裁判には時間がかかるという見過ごせないデメリットがある、ということでもありますが)。本書内で下されている判決については、おそらくは多くの読者の方がそうだと思われるように、私も不満に思っています(もちろん、あくまでも小説内でのことだというのは分かってますから怒ったりしてはいません)。ただ、現実に違憲判決が出るというのは滅多にないということは付言しておきます。裁判所だって、民意によって選ばれた国会議員によって制定された法律と、それに基づいて行なわれている行政府の活動についておいそれと違憲無効などということは言えません。それはとても重い判断なのです。
●参考:図書館裁判〜決戦!オフィス・ターンvs世相社 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常(←事案が違いますし、本件の訴訟物が何なのかいまいち分からないので一概には言えませんが、理念としてはこちらに等しい内容の判決が下されるべきだったと私は思います。)
 とりあえずはこんな感じですが、何かありましたら遠慮なくコメント等いただければ幸いです。一法律好きの視点から『図書館革命』についてつらつらと語ってきましたが、表現の自由についてこれだけ中身の濃いやりとりを見せてくれたのはとても嬉しいですし、読んでよかったと心の底から思います。オススメです。