ハチワン=081=オッパイと読んでしまう人のための『ハチワンダイバー 3巻』将棋講座

ハチワンダイバー 3 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 3 (ヤングジャンプコミックス)

 『ハチワンダイバー 3』(柴田ヨクサルヤングジャンプ・コミックス)をヘボアマ将棋ファンなりに緩く適当に解説したいと思います。

(以下、長々と)
 3巻は何と言っても菅田対文字山戦がメインなので、それを中心に解説していきたいと思います。まずは2巻のおさらいです。
・第1図

 この将棋、出だしこそ四間飛車居飛車穴熊というよくある構図ですが、ここからの戦いはかなり意表を突いた珍しい手が頻出します。そんな将棋を解説するなど本来なら私の手には負えないのですが、実はモデルとなってる将棋があります。平成18年3月3日に行われた第64期A順位戦丸山忠久九段対鈴木大介八段戦がそれです。
(参考:棋譜でーたべーす:丸山対鈴木
 ただし、実際の将棋と比較して、手数を斟酌することなく先後が入れ替わってしまっており、そのまま使われているわけではありません。なぜそのような特殊な棋譜の利用を著者が行なったのかはよく分かりません。単なるウッカリかもしれません。もし何か意図があるとすれば、モデルとなる棋譜の存在をぼかしたかったからかもしれませんが、どんな将棋にも個性というのは出てしまうものですから見る人が見れば分かっちゃうんですよね(笑)。ですが、そのおかげで断片的にしか登場しない局面と局面の間の流れをほぼ確定的に推測できるので、こちらとしては楽しいですけどね。ということで、今回はそのモデル局も参考にしながら解説していきます。
 四間飛車対居飛穴のよくある戦いと言っても、そこはやはりいくつかの種類があります。例えば、振り飛車側が何の工夫もせずに駒組を進めると図のような局面になります。
・四間対居飛穴・基本図

 この局面と比べると、本局の文字山の穴熊は金1枚が離れ駒になっているのが分かります。これは振り飛車側が角道を通して急戦の可能性を見せたために金でその仕掛けに備えざるを得なかったからです。結果、穴熊に組むことはできましたが、本来の穴熊よりは少し弱い形になっています。このことが本局でも微妙に影響してくることになります。もっとも、こうした場合でも穴熊が得意な指し手は指しながら自然と金を玉側に引き付けちゃうんですけどね。
 第1図から数手進んで第2図(p6)です。
・第2図

 この局面、作中では菅田が苦しげな感触を抱いていますが、局面としてはむしろ振り飛車側が面白くなっているはずです。居飛車としては下手に銀を動かすと飛車を取られてしまうので銀が使いづらいですし、7四の桂頭にも歩を打たれるキズがあります。ここで菅田の指した▲4八角(p18)は、後手の角との交換を狙った手です。角交換となれば、菅田の陣は金銀の連結がよいので角の打ち場所が少ないのに対し、文字山陣は4三の金と6四の銀が浮いているので角打ちが厳しい手となります。ですから、▲4八角は5九にいるよりもずっと角を働かせる手ということが言えます。このように、駒を効率よく活用させる手のことを”捌く”と言います。
 局面はさらに進みます。p19で文字山のと金が入って菅田が飛車をフワッとかわしているところ、このと金は歩で取ることができますが、取ってしまうと△6二竜と手順に龍に入られてしまい、この龍が6五にいる桂馬に当たってくるので面白くありません。
 ここから文字山が反撃を見せます。飛車交換→と金捨て→桂の楔から△8四角と出た局面(p34、第3図)は確かに技がかかっています。
・第3図

 一見角のただ捨てではありますが、取ってしまうと自分の角がどいてしまうので、菅田の読み通りに△2八飛を打たれ(p35)、玉がどこに逃げても△3八飛車成と銀を取られ、さらに金桂も取られて手順に寄せられてしまいます。それは駄目です。ですから、この角は取れません。とはいえ、放っておくと自分の角が取られてしまうので、▲7五歩(大駒は近づけて受けよ)から▲6六銀の角銀交換はおそらく最善でしょう。しかし、文字山の追求は続きます。△4七歩(p41、第4図)。
・第4図

 受けるのか? それとも攻めるのか? 絶対王手のかからない穴熊陣を敵に回して受けに回るのはかなりのリスクを伴います。もし受けに失敗したらそのまま反撃の機会を得ることなく押し切られてしまうことになるからです。仮に受けに回るとしたら▲同金でしょうか? しかし、それだと例えば△4六歩と打たれて、▲同金なら△4八銀。▲4八金なら△4八桂成で、どうも受けは難しいように思います。ですから、攻め合いは最善の選択でしょう。ここからきわどいギリギリの戦いが続くことになります。ノーガードの殴り合いの始まりです。▲4三歩成△4八歩成▲4二と金となって、△2八飛の王手!(p70〜71、第5図)
・第5図

 これは悩ましい。取るべきなのかかわすべきなのか? かわすとしても1七? それとも1六? 大変悩ましいので、コンピュータ様にお伺いを立ててみることにしました(笑)。結論から言いますと、作中の▲1七玉とかわした手は”盤上この一手”です。
 まずは、取れるものは取ってみましょうか。ということで▲同角ですが、すると、△同桂成▲同玉△3九角▲2七玉△3六銀▲1六玉△3八と金で参考1図。
・参考1図

 これは菅田の負けですね。次に△2七銀打があるので受けなければなりませんが、△3七と金からの△2四桂や△2八角成などを見せられており適当な受けがありません。たくさん駒を持ってはいますが、やはり相手が穴熊だけに一手で相手玉に迫ることができないのが辛いです。ですので、かわすしかないのですが、▲1六玉だと、後手の次の手が△3八と金、△3八飛成、△1四歩がいずれも詰めろ(=次からは一手一手が王手で詰みますよ、という手のこと)です。王手のかからない穴熊ですから詰めろがほどけないとやはりそれまでなのです。そこで▲1七玉です。これもかなりきわどいのですが、菅田が恐れていたように(p90)、あっさり銀を取られて仕方なく金を取った場面を想定してみましょう(p91、第6図)。
・第6図

 菅田の玉は危険な形で文字山は銀二枚を持っていますが、玉の上部に脱出口があるのが大きくかろうじて先手玉は詰みません。一方、文字山の玉には▲2一と金△同玉で▲4三角からなどの詰めろがかかっていますので受けるしかないのですが、駒を使ってしまいますと攻め駒が不足してしまいますし、そもそも△同銀とと金を取った後の▲5五角や▲8九飛などが厳しくてとても受け切れません。なので、文字山は銀を取らずに△4二金と、自陣に手を戻してと金を払うより他ありませんでした。
 そこから進んで(▲2八角△3八と金▲5五角△4四歩▲同角△3三銀打▲同銀成△同金▲同角成△同銀)、▲3二金の楔(p124、第7図)が決め手です。
・第7図

 この手は▲2一金からの詰めろになっています。この手に対して文字山の放った△4三角は、▲2一金を防ぎつつ菅田の玉に△1六銀からの詰めろをかけた”詰めろ逃れの詰めろ”です。まさに攻防の角なのですが、ここで菅田が放った焦点の歩、▲3四歩が最後の決め手です(p129、第8図)。
・第8図

 この歩は取れません。角で取ってしまうと上述の通り▲2一金からの詰みですし、銀で取ってしまいますと▲2二銀(金)の一手詰みです。また、△3二角として楔の金を取ったとしても、▲3三歩成が詰めろで△同桂としても▲8一飛から詰まされてしまいます。だからと言ってこの▲3四歩、放置しますと▲2二銀以下、△同銀▲同金(この同金が必要なので、二手前の楔は金でなくてはいけません。銀だと負けです)△同玉▲3三銀△同桂▲同歩成△同玉▲3一飛△3二金▲4五桂打△3四玉▲4四飛△同玉▲5五金打△3四玉▲3二飛成△2四玉▲2五金△同角▲同歩△1五玉▲2七玉まで(参考2図)、の詰めろになっています。
・参考2図

 つまり、この歩は”詰めろ逃れの詰めろ逃れの詰めろ”なのです。この歩によってせっかくの攻防の角も無効化されてしまいました。この角を使わずして菅田の玉に迫ることはできませんが、駒を使って受けてしまっては戦力不足になりますし、そもそも有効な受けの手段が見当たりません。実戦はここで文字山の切れ負け(時間切れの負け)となりましたが、時間があっても投了するしかない局面だといえるでしょう。鮮やか過ぎて言葉がないくらいの終盤でした。
 ちなみに、本局の検討に当たっては『将棋世界 2006年5月号』の「A級最終局を見る」を参考にしました。


 3人目の真剣師、対斬野戦は序盤の7手がすべてですが、そちらについては「7手で終わってる」ってどういう意味?で解説済ですのでご覧下さい。なお、少しだけ補足致しますと、勝又清和『最新戦法の話』において、鈴木八段へのインタビュー形式でこの新・石田流についての詳しい説明がなされていますので、興味のある方はぜひ読まれることをオススメします。

最新戦法の話 (最強将棋21)

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 こうして早石田は新手によって復活・流行しているわけですが、その背景にはやはり振り飛車党の対居飛穴という側面があります。7手で戦いが始まってしまうのであれば穴熊にしようにもそんな暇がありませんからね。
 話をマンガの方へ戻します。最後の局面だけ検討しておきましょう。83手目、投了図(p212)です。

 逃げるとしたら△2三玉しかありませんが、それは▲4一角△3二合(何を打っても無駄)▲同角成△1二玉▲2二馬で詰みです。したがって、△同玉と取るよりほかありませんが、それも▲2一角以下△3三玉▲3二龍△4四玉▲4三龍△3五玉▲4六龍△2五玉▲2六龍△1四玉▲2四龍まで、いずれも簡単な詰みです。

 具体的な局面から離れて補足めいたことを少々語っておきましょう。
 穴熊という囲いそのものは居飛車でも振り飛車でもありますが、いずれにしても昔は固めるばかりで自分からは手を出すことのできない指し方として少々軽蔑されていたところがありました。そもそもの穴熊という言葉自体にそうしたニュアンスを感じ取ることができます。田中芳樹アルスラーン戦記 旌旗流転』の中で、自分自身は安全なヘラート盆地という難航不落の本拠地に閉じ篭り、それによって自らの行動を制約してしまっているカルハナ王のことを”チュルクの穴熊”と揶揄していることなどがその例といえるでしょう。

旌旗流転・妖雲群行 ―アルスラーン戦記(9)(10) カッパ・ノベルス

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 しかしながら、そんな穴熊も現代将棋ではとても有力な指し方の一つです。振り飛車への対抗策としての居飛車穴熊というのはもはやセオリーですし、相居飛車戦においても”作戦負けは穴熊で緩和”なる言葉が格言になりそうなくらいです。
 勝又清和『最新戦法の話』p108によりますと、居飛車穴熊の平均はプロ平均で約6割。タイトルホルダーだと、
・先手番の勝率
羽生=38勝5敗(.884)
佐藤=39勝9敗(.813)
森内=21勝5敗(.808)
渡辺=15勝6敗(.714)
・後手番の勝率
羽生=19勝1敗(.950)
森内=16勝4敗(.800)
渡辺=14勝5敗(.737)
佐藤=10勝7敗(.585)
という信じられない数字が並びます。中でも羽生の勝率は酷すぎます。そんな穴熊の特徴として、
(1)完成までに手数がかかる。
(2)駒が偏るため全体のバランスを取るのが難しい。
(3)王手がかからない。
(4)玉が遠い。戦場から離れている。
(5)金銀の連結が良い。
というようにまとめることができます(『将棋世界 2007年6月号』p167より)。 
 (1)(2)が短所で、(3)(4)(5)が長所です。藤井システムゴキゲン中飛車などは(1)の弱点を突いて速攻を仕掛けることで穴熊を封じようとします。本局のようなバランス・玉の広さで対抗する指し方は(2)を突いた指し方といえますが、実戦的には固さの前に競り負けてしまうことも珍しくありません。それだけに本局の菅田の、引いてはそのモデルとなっている棋譜の鈴木八段の指し回しはとても鮮やかなものですし、終盤の返し技の連続もとても見応えがあります。将棋の面白さが凝縮した一局だといえるでしょう。
 p75で文字山が「君はすでにオレの妖刀に斬られた」って言ってますが、このセリフの元ネタは福崎文吾八段の異名「妖刀」に由来するものですね(参考:Wikipedia)。

 ま、こんなところでしょうか。好きな漫画なので長々と語ってしまいました。何かありましたら遠慮なくコメント下さい。ばしばし修正します(笑)。
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