『ハチワン』と『ヒカルの碁』を比較してみる

 囲碁と将棋は、正直ゲームとしては全然別ものだと思うのですが、こと漫画の題材となると結構似通ったものだと思います。で、どっちも私の大好きな漫画でして、勝負自体がとても真剣に描かれてて好感が持てますし登場人物も魅力的でとても面白いです。そんな両者の比較ですが、比較といっても実のところ『ヒカルの碁』を出汁にして『ハチワン』について語るのが本稿の目的なので(すいません。私の能力的に将棋>>>>>>囲碁なもので)、ヒカ碁ファンの方はスルーなされた方が賢明かと思います(笑)。
(以下、長々と。)

(1)プロを目指す者と挫折した者
 『ヒカルの碁』は、特に第一部はヒカルがプロを目指す過程を描いた成長物語です。ライバルに追いつくためにヒカルは可能な限り最速でプロになることを目標とします。最短でプロを目指すとなると、どうしてもシャープで一直線な生き方にならざるを得ません。それだけシビアな世界です。そうすると、ストーリーも自然と無駄を排除したものになってしまいます。
 対して『ハチワン』は、いきなりプロをドロップアウトしたところから始まります。目標を失い、真剣師として将棋を指して食いつないでいるハチワンこと菅田の人生は迷走しまくりです。そこに、『ヒカルの碁』と違った、良い意味での無駄が入り込み余地があります。『ヒカルの碁』に笑いがまったくないとは言いませんが、基本的には真面目一辺倒のストーリーです。しかし、『ハチワン』の方は、オッパイ将棋をはじめとしてお馬鹿な要素・無駄な熱さに満ち溢れています。そこが、語りやすさ・親しみやすさを生んでいると思います。
 柴田ヨクサルのインタビュー(『近代将棋』2007年4月号掲載)によれば、元奨励会真剣師を主人公にしたのは、真剣師小池重明】のようにものすごく強いアマチュアが強敵をバッタバッタと倒していくのが、格好良くて燃えるということだそうですが、確かにそうですね。格闘漫画のような展開は一般的になんだかんだ言っても人気がありますし、将棋というマニアックな題材で一対一の真剣勝負を描くには持って来いだと思います。それに、インタビューでも述べられているとおり、瀬川四段のようにプロに再チャレンジする道もありますから、今後の展開も一通りではなくて非常に楽しみです。
 プロからドロップアウトしてのストーリー展開のもうひとつのメリットとして、プロ将棋界を無視できるというのがあります。これは何気に大きなメリットだと思います。ぶっちゃけ、今の日本将棋連盟は問題山積です。昨年は名人戦問題で大揺れでしたし(参考:名人戦契約問題についていろいろ(60) - 勝手に将棋トピックス)、さらに今年は女流棋士会の分裂という問題もあったり(参考:女流棋士独立派が新団体設立方針表明 など - 勝手に将棋トピックス)と、まあいろいろと大変です。将棋というゲームの面白さを純粋に押し出そうと考えた場合に、組織のゴタゴタはハッキリ言って面倒くさくてマイナスです。こうした問題を無視することができるという意味で、真剣師たちが主人公というのはとても理にかなっていると思います。

(2)コマの大きさ
 『ヒカルの碁』は、一コマ一コマが緻密に書き込まれていますしその美しさ・繊細さには圧倒されます。漫画についてそれほど詳しいわけじゃないですが、あのクオリティは週刊誌の連載としてありなのでしょうか? 対して、『ハチワン』の方はぶっちゃけ大ゴマの連続です。しかしこれは、漫画としては『ヒカルの碁』の方が普通なのかもしれませんが、囲碁将棋漫画として考えた場合には『ハチワン』の方が普通で、『ヒカルの碁』が異常を極めていると言って良いと思います。あり得ません。

「将棋の駒」を描くのは面倒ですよ。と笑う村川さん。逆転シーンでは両取りが掛かる図が多く、いきおい盤面を広く使うことになる。本誌にあるような活字の図面ではなく、手描きで視認できる大きさにするとなると、相当なスペースを取る。その分、ストーリー展開に割ける分が減り苦労するわけだ。
(『週刊将棋』2007年3月21日号 7面より)

マサルの一手!

マサルの一手!

 上記の引用は、『マサルの一手!』などの作者、村川和宏のインタビューからですが、そりゃそうですよね。漫画のコマの中に、将棋の勝負という盤上のドラマを描かなくてはならなくて、そうした言わばコマの二重性という制約がある以上、一コマ一コマはどうしても大きくならざるを得ないでしょう。また、日本の漫画は、普通、右から左へと流れる”視点の力”があります(参考:ネギま!で読む「ネームの文法」前編〜コマの中を流れる力〜)。ところが、将棋漫画で勝負を忠実に描こうとすると、「5五同角っ」みたいに符号で表現したくなります。この符号表現を漫画内で用いるためには、盤面を正位置で描かなくてはなりません。例えば、こんな感じです。

 こうしないと、横にいくつで縦にいくつなのか分からなくなってしまいます。しかも、これによって先手が下、後手が上になることが自動的に決まってしまいます。さらに、将棋の定跡書などでは、先手の視点から解説されることが通例です。これもまたかなりの制約だと思います。第3話の”目かくし将棋”では先後の不自然な逆転が生じてしまってますが、それもこうした制約を考慮し切れなかったことによる混乱だと思います。こうした正位置による視点の補正に抗って物語に動きを出そうとすると、どうしても大コマ、すなわち両ページにまたがったコマを使うことでの左方向への視点の誘導が必要になるのではないかと思われます。
 1ページあたりどれくらいのコマを使えば大きくてどれくらいなら小さいのかといった客観的なデータの持ち合わせはありません。ただ、例えば、『ハヤテのごとく!』第1巻は1ページ平均6.14コマなのだそうです。で、『ハチワン』の1巻は私が数えたところ、第1話221コマ、第2話185コマ、第3話87コマ、第4話83コマ、第5話80コマ、第6話114コマで、ページ数203ページ(表紙などは除く)で計算すると、なんと1ページあたり約2.84コマという数字が出てきます。数え間違い・計算ミスを疑いたくなるような数字です(笑)。これはかなりの少なさ、大コマの多用例だということが言えるでしょう。
 つまり、『ハチワン』で大コマが使われているのには将棋漫画という性質上からの必然性があると思うのですが、それにしても上手い具合いに使ってると思います(参考:身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 漫画における、キャラの思考のレイヤー)。もっとも、それは将棋漫画どうこうではなく柴田ヨクサルの作風だと言ってしまえば、それもまたその通りでしょう(笑)。

(3)一局の占めるウェイト
 『ヒカルの碁』と『ハチワン』のどちらも、囲碁将棋をまったく知らない読者でも楽しめるようなストーリーになってます。しかし、だからと言って囲碁将棋がまったく描かれていないというわけではなくて、どちらもその魅力をたっぷり描いていると思います。『ハチワン』の場合、インタビューによれば8:2のイメージ(読者のうち将棋の分かる人2割)で描いているのだそうです。『ヒカルの碁』はそれよりもっと下がる印象です。この違いは、物語の中で一局をどれくらいしっかりと描いているのか、という違いから説明できるでしょう。『ヒカルの碁』の場合、ヒカルの成長というしっかりとした筋書きがあるので、一局一局は割りと淡白に描かれていきます。長期的な視点での勝ち負けといったものが描かれていて、これは囲碁将棋漫画という枠のみならずバトル漫画一般という観点から見て珍しい斬新な展開だと思います。そういう意味では『ハチワン』は普通です。普通なのですが、そのために一局一局をきちんと描かねばなりません。主人公の人生が迷走しているために筋書きが見えないのでそうしなけらばならないのですが(笑)、そうすると、上述のコマの二重性の制約に悩まされることにもなります。ただ、『ハチワン』の場合、矢倉とか美濃囲い、雁木や穴熊、新石田流など、きちんとした将棋用語・指し方を上手く漫画的に取り入れて面白くすることに成功していると思います。定跡外の意味不明な力戦に持ち込んで意味不明な強さを示すことだってできなくはないと思うのですが(力戦だって立派な将棋です)、それをやらないところに著者の将棋へのこだわりを感じます。

(4)女っ気の有無
 これは断然『ハチワン』に軍配が上がりますね(笑)。『ヒカルの碁』に女っ気がまったくないとは言いませんが、ヒカルの幼馴染のあかりにしても影が薄いですしね。その点、『ハチワン』のそよちゃんの存在感は圧倒的です。将棋を知らない方が『ハチワン』を読むと、おそらくメイドさんだとかオッパイ将棋だとか漫画のアシスタントになるだとか主人公を『ハチワンくん』にするだとか、そういうところに漫画らしさを感じられてるんだと思います。ところが、へぼアマではありますが一応将棋をたしなんでる身からしますと、そよちゃんという女性が(少なくとも現時点では)最強の将棋指しとして君臨している時点でそもそもファンタジーなのが本音です。囲碁も将棋もプロとしての活躍度を見ると男性の方が圧倒的です。将棋の場合はより深刻で、本当の意味でのプロ棋士というのは女性にはいないというのが現状です(参考:女流棋士独立について: daichan's opinion)。どうして女性が将棋のプロになれないのか? 将棋指しなんて別に世の中の役に立つわけでもありませんし気にするようなことでもないのでしょうが、将棋ファンをやってると一応気にはなるものです。一人くらい出ても良さそうなものだと安直に思ったりもしますが、正直、よく分かりません(参考:将棋と性差 - 勝手に将棋トピックス)。インタビューによれば、読者に、とにかくまず見てもらうしかないということで登場させたキャラクタとのことですが、こうしたことが可能だったのは、上述のように『ハチワン』に無駄が入り込む余地があるからですし、逆に『ヒカルの碁』にはそれがないということでしょう。他の主人公たちで外伝が描かれることも今後ありますが、全ての世界の中心にメイドの彼女がいますとのことですが、彼女が中心的な存在である限り、『ハチワン』は真剣師たちのファンタジーでいられると思います。もし彼女が最強の座から転落することがあれば、そのときは『ハチワン』がファンタジーでなくなって、菅田のプロ棋士編が始まることになるんじゃないかと思います。いや、勝手な予想ですけどね(笑)。

 以上、一応”比較”の体裁を保って書いてきましたが、どう読んでも『ハチワン』に偏った文章になってます。申し訳ありません(ペコリ)。逆に『ヒカルの碁』視点からの『ハチワン』みたいなことをどなたか書いて下されば面白いなぁと思います。そしたら紹介させていただきますので、ぜひ私に教えて下さいませ(笑)。

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・『ハチワンダイバー』単行本の当ブログでの解説 1巻 2巻 3巻 4巻 5巻 6巻 7巻 8巻 9巻 10巻 11巻 12巻 13巻 14巻 15巻 16巻 17巻 18巻 19巻 20巻 21巻 22巻 23巻 外伝
柴田ヨクサル・インタビュー

ヒカルの碁 1 (ジャンプコミックス)

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ハチワンダイバー 1 (ヤングジャンプコミックス)

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